我的愛球史 第31話 「クールなストッパー」


 (写真と記事は関係ありません)
 
 虎の1992年を振り返るシリーズも3回目です。

 このシーズンは、投手陣が皆好調でした。

 この年の先発投手陣については思い入れが深く、28話で書いた仲田幸司選手をはじめ湯舟敏郎選手、中込伸選手、猪俣隆選手、野田浩司選手、葛西稔選手・・・と、一人ひとりに思いいれがあるのですが、試合を締めるストッパーを務めた田村勤選手も忘れることができません。

 湯舟投手と同期入団の田村選手はその年が2年目。

 1年目から50試合に登板するなど即戦力として十分な働きでしたが、それ程印象に残る活躍はありませんでした。

 それが92年は開幕から凄みを増したピッチングで、バッターを圧倒していきます。

 左腕が千切れて飛んでいくのではないかと思うぐらい鋭い振りから放たれるボールは球威も切れ味も圧巻。

 サイドから唸りをあげてすごい角度でキャッチャーミットに突き刺さって行きます。

 バッターはボール見えてるんやろか??

 見ていて全く打たれる気がしません。

 田村選手はマウンド上では白い歯を見せることなんてほとんど無く、淡々と自分の仕事を完遂していきます。

 選手名鑑に載っていたコメントで好きな歌手は浜田省吾。

 ああ、なるほど、田村選手のイメージにピッタリやな・・・。

 僕はテレビで田村投手の姿を見るたびに、心の中で「ハマショー」の歌を歌いながら応援していました。

 それでも、田村選手は8回、9回とイニングまたぎの登板が多くて(今年の球児と同じ)

「あんなすごいボールを2イニングも投げて大丈夫かよ!」

 と一抹の不安はありました。

 その不安はやがて現実のものとなります。

 6月28日の中日戦で忘れもしない救援失敗。

 あの日はあきらかにおかしかった。

 それから間もなく登録抹消。

 以後、タイガースは絶対的な守護神を欠き、いかに強力な先発陣を擁していると言え、戦いぶりに翳りが見えてきます。

 僕はタイガースの1992年の優勝が成らなかったのは田村選手の離脱にあると思い、未だ悔しい思いがあります。

 田村選手、この年24試合に登板し5勝1敗14セーブ、防御率1.10.
  
 翌93年は前年を上回る30試合に登板し、これもまた前年を上回る1勝22セーブを挙げますが、球に有無を言わさない力があった前年と違い「巧さ」でセーブを重ねて行った印象が強いです(防御率は2.20)。

 選手に失礼なのであまり好きな言葉でありませんが「抑えの賞味期限は3年」と言う言葉を耳にすることがあります。

 試合展開如何によっては何日も続けて肩を作って登板しなければいけない抑え投手の負担は大変なものだと思います。

 その後も田村投手は現役を続け最終的に287試合登板13勝12敗54セーブの成績を残しましたが、92年のあの球を投げた実力からすると誠に惜しい気がします。

 野球選手の身体をケアする技術や方法論のさらなる発展を祈りたいものです。

 

 

 































































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