我的愛球史 第13話 泣き虫監督
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こじっく
2010年07月11日 08:26 visibility171
1987年、最下位に沈んだ阪神タイガースは、監督の交代を発表しました。
「次に阪神の監督をやるとしたら・・・村山さんぐらいしかおらへんなぁ」
と、野球にそんなに詳しくない父がつぶやいていたら、本当に村山実さんが就任されて、僕は驚きました。
「お父さん、すごい!」
父は昭和22年生まれですので、父が熱心に阪神を応援したかどうかは別として、自分の青春時代に阪神のエースとして君臨した村山実さんは思い入れのある野球人だったのかも知れません。
僕がテレビで、監督就任要請を受けた村山さんをはじめて見たのは台風で小学校が臨時休校になった土曜日の朝でした。
ちょっと太目の物腰の低い優しそうな顔立ちのおじさんが「はい、がんばります!」「がんばります!」と視聴者の応援メッセージに応えておられました。
僕は素直に「いい監督さんだな」と思いました。
しかし・・・、翌88年のタイガースは最後まで戦力が整わず(5月に主軸のバース選手解雇という悲しい事態もありました)、無念の最下位。
ショックだったのは、僕が見た雑誌のアンケートで「上司にしたい監督」の最下位が確か村山監督。本当は書きたくないのですが、その理由と言うのに挙げられていたのが「暗い」・・・。
本当に村山監督や率いられた当時のタイガースが暗かったとは僕は思いませんが、世間は「勝ち」という結果が出ないと厳しい。
情熱的な村山監督は大事なゲームや印象的なゲームではでは「勝って涙」「負けて涙」という感じで、感情を隠さないところ・・・僕は中学生ながらにも、見ていて胸をうたれるものがありました。
よく知られた話ですが、和田豊、中野佐資、大野久の若手3選手を一人前に育てるために自ら打撃投手に登板してフォークボールを多投し、股関節を傷めてしまった村山監督・・・。
今、こんなプロ野球監督、ちょっといないんじゃないでしょうか。
想像ですが、僕は球団は村山監督に結果よりも、育成とチームに吹く風を変えることを期待したんじゃないでしょうか。
村山監督で伝統の「強いタイガース」の基盤を作って次代の指揮官に託す・・・みたいな。
案外、後年の星野監督に期待したことと近いものを求めていたのではないか、と。
僕は1992年のタイガースに深い思い入れがあるのですが、村山監督時代に力を伸ばした和田選手、村山監督時代に入団した野田浩司選手、中込伸選手が活躍されたので、その頃監督から身を引いておられた村山監督の喜びも大きかったと思うのですが・・・優勝できなかったなぁ、92年は。
そして、大野選手がトレードで福岡ダイエーホークスに行ってから才能開花し盗塁王を獲得したことはタイガースファンとして複雑な気持に・・・。
僕は、いい監督さんだったと思います、永久欠番11を背負って指揮を取った村山実監督!
合掌。
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