我的愛球史 第2話 喘息キャンプのソフトボール
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こじっく
2010年06月18日 17:52 visibility157
ワールドカップ期間につき、ついつい毎晩テレビ視聴時間が長くなり、パソコンを開く機会が減ってしまいました。
にわかサッカーファンしていますが、決勝が終われば高校野球に心は移ってゆくのです・・・きっと。
僕が本格的に一度も野球をしなかった理由の一つに、子供の頃、喘息を持っていたことがあります。
調子が悪い時は30メートル走っただけで発作が出て、そのまま1週間学校を休んでいました。
しかし、生まれて初めてソフトボールをプレーできたのが、その喘息のお陰とは、本当に人生は分からないものです。
僕は小学校4年生の時、喘息の子供ばかりで病院の主催で夏休みに1週間キャンプに行きました。
その時、ソフトボールを生まれて初めて大学生のお兄さんお姉さんから教えてもらい、ゲームをしました。
最初、ソフトボールをする・・・と聞かされたとき、「嫌だな・・・」と思いました。
僕は体育大嫌い少年だったのです。
キャンプに来てしまったので、仕方なく練習に参加しましたが、案の定、全然楽しくない。
喘息の子供って、運動ができないとか、運動に制限を加えられている・・・と思う方があるかもしれませんが、そういう人は少数で、むしろ喘息の治療のために積極的にスポーツをしている子供も少なくありません。特に水泳をしている子供は多いです。
そして、少数ながら少年野球をしている子供も・・・。
そうです、喘息キャンプではそういう子供はヒーローです。
40人ほどの子供が4チームに分かれて優勝を競うのですが、女子の1チームを除いてどのチームにもとんでもなくソフトボールのうまい子供がいました。
僕はライトを守りましたが、僕の横を速い球足のボールがどんどん抜けていきました。
ランニングホームラン連発。
しかも、そういう子供は勝負にかける気持が強くて、僕はついていけませんでした。
僕は練習で嫌々バットを振っていましたが、その姿を見て、ある教育大生のお姉さんが
「もっと腰を入れて打ちなさい!」
とか言って、僕の手を取って教えてくれました。
その甲斐あってか・・・、最終日に「人生初ヒット」の2塁打が打てました。
塁上で僕は、最終日にしてやっとソフトボールの時間に笑顔が出ました。
「ソフトボール、ちょっと良いかも・・・」
そして、僕はキャンプが終わってから、少ずつテレビの野球や新聞の野球記事に関心を持つようになったのでした。
時はまさに1985年夏、ここは関西・・・・そうです。
決定的に僕を野球好きにする出来事が待っていたのでした・・・。
- 事務局に通報しました。
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