僕の甲子園物語 第6話
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こじっく
2010年05月12日 10:48 visibility121
こうして、S君の高校野球最初の夏は終わった。
しかし、秋の大会でのK高校の戦いぶりは素晴しかった。
夏の予選1回戦敗退の悔しさを晴らそうとするかのようだった。
特に、S君の一つ上の先輩投手陣の頑張りには目を見張るものがあり、近畿大会出場をかけた県予選は準決勝で敗れたものの、3位決定戦を制して近畿大会出場を決めた。
正直、僕はS君がエースとして据えられていないこの時のK高校の健闘には複雑な思いがあった。
当然夏の予選で登板したS君が投手陣の中心になると信じて疑わなかったからだ。
しかし、近畿大会K高校が、当時「スーパー1年生」と言われていた中田翔を擁する大阪桐蔭と当たった近畿大会初戦。
忘れられない試合になった・・・・僕は球場で見ていなかったのだが。
S君の一つ上の先輩投手陣は実に多彩な顔ぶれだった。
左右に本格派あり、外野でも常時出場する速球派あり・・・そして技巧派サイドスロー。
技巧派サイドスローのS田投手が大阪桐蔭戦に先発した。
S田投手は遠投80メートルというから決して強肩ではない。
しかし、緩急と絶妙のコントロールと何よりも粘りの精神で、強打者揃いの大阪桐蔭打線を分断してゆく(誠に残念ながら見ていたわけじゃないが・・・)。
(今回記事を書くに当たって調べてみたのですが・・・)スコアの載った新聞記事をなくしてしまったので、正確でないかもしれないが、2-2で延長に入ったと思う(誰か正確な試合展開知っている方教えてくださいませんか?)。
延長戦に入ってもなおも執念のピッチングを続けたS田投手とK高校に勝利の女神が微笑んだ。
キャプテンA選手のサヨナラ打。
かくしてK高校はスター軍団を倒した。
悔しがる中田選手の顔が目に浮かぶようである、今でも。
この試合の記事が高校野球の雑誌に結構大きく載って、そこにはサヨナラの瞬間、グラブを高く掲げて雄叫びを上げるS君の姿があった。不思議と、力投したS田投手もサヨナラの立役者Aキャプテンの姿も写真にはなく、なぜか喜ぶS君と女子マネージャー、そしてベンチに座っている監督の姿が映っていた。それがちょっと可笑しかった。
・・・ああ、リリーフ登板の準備してたんだね、S君残念だったね。でも、いいや、チームが勝ったから・・・。
こうして次の準々決勝も制したK高校は、智弁和歌山高校に敗れたものの、春のセンバツに向けて希望の持てる近畿大会を終えた。
僕は、センバツ出場濃厚と考え、S君をますます応援しなければと思い、「日本人メジャーリーガーのフォーム分析写真」が載った本などをS君に送った。
もちろん、ツキが逃げないように「センバツ」いう言葉は一切使わずに「僕には要らなくなったから役立ててくれ」みたいな素っ気無い手紙を添えて。
今思うと、顔から汗が出るぐらい余計なお世話をしてしまったと思うが、当時は僕も嬉しかったのだ。
そして、センバツ出場校発表の日がやってきた。
K高校、センバツ初出場!
やった!やった! 僕も舞い上がった。
新聞記事によると、K高校は近畿大会ベスト8敗退校の中では最も試合内容への評価が高く、5番目の選出だったそうである。
新聞記事にS君のコメントも載った。
「球速はないが変化球とコントロールのよさが僕の持ち味だと思う」
そうか。S君は技巧派になったのか。
僕は実際の投球を見ていないのにそう思った。
高校野球雑誌も買ってみた。
S君の自己紹介欄。
好きなプロ野球選手・・・ソフトバンク和田
納得である。
僕は和田選手のトレカを手に入れるため、早速カルビーに当りカードを送り、ソフトバンクコンプリートセットを貰った。
それを添えて、S君にお祝いの手紙を書いた。
本当に僕は幸せだった。
その様子を見て母がこう言った。
「あんた、弟が甲子園に出たような騒ぎやな」
そうなのだ。僕はまさにそういう気分だったのだ。
しかし、組み合わせ抽選の直前だっただろうか・・・そんな僕自身の身に思いもかけないことが起こってしまったのだった。
(写真と記事は関係ありません。もし試合の記録などで間違っている部分があればご教示いただければ幸いです)
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