我的愛球史 第17話 奇跡の復活

 あの選手にあの怪我さえなければ・・・。

 このような惜しまれ方をする選手が毎年のように出てしまうのは残念なことです。

 怪我をされた選手が一番悔しい思いをされるのでしょう。

 しかし、応援する僕らも夢を断たれてしまったような残念さを抱き続けてしまいます。

 僕は阪神ファンですので、三宅秀史選手が1962年9月6日の試合前の練習で眼を負傷しなければ882試合連続出場そして700試合連続全イニング出場記録はどこまで更新できたのだろう・・・と、自分の生まれるはるか昔の惨事に臍を噛む思いがします。

 横浜ファンの方なら遠藤一彦投手の走塁中のアキレス腱断裂でしょうか。

 僕が野球を見るようになってから初めて衝撃を受けた選手の大怪我といえば、1988年7月6日の札幌円山球場での巨人吉村禎章選手の右足アキレス腱断裂でした。

 打席では個人通算100本塁打を記録した同じ試合の終盤に、外野守備で同僚栄村選手と飛球を追って交錯。

 担架に乗せられてフィールドから出て行く悲痛な姿をテレビで見ていたことを思い出します。

 本当に自分が目で見ている映像が信じられなかった。

 輝かしい将来が約束された選手が大試練を背負ってしまう理不尽さ。

 しかも、同じ釜の飯を食う仲間との交錯による試合中の事故。

 こんなことってあっていいのか?そう思いました。

 だから1989年9月2日に吉村選手が1軍の試合に復帰したという記事が小さく新聞に載った時は嬉しかった(僕は阪神ファンですよ)。

 1990年9月8日の優勝決定ホームランの映像は今だ覚えている(我が阪神は最下位だったなあ・・・)。

 怪我をするまでの7年で100本塁打。

 怪我をしてからの10年で49本塁打。

 僕には後者の方がずっと輝いて見えます。

 しかし、あれは吉村選手が現役生活を終えられた1998年の年末だったと記憶しています。

 あるテレビ番組で、吉村選手があと1本ホームランを放っていれば現役通算150号本塁打に到達したことから、幻の150号を吉村選手に打ってもらおう・・・という企画をしていたのです。

 吉村選手は寒空の下、懸命にスタンドインを目指してバットを振り続けておられました。

 僕はその映像を見て、複雑な気持になってチャンネルを変えたことを覚えています。

 吉村選手の偉大さは重ねた149のホームランにあるのではなく、大きな試練を乗り越えて長く現役生活を続け、チームに貢献し、野球ファンや困難と闘う人に希望を贈り続けたことにあるはずです。

 企画を考えた人もそのことは百も承知だったでしょうが・・・・。

 今は、企画をオファーされた時に去来したであろう様々な思いを飲み込んで、それを受けた吉村選手の真の逞しさを思うだけです。

 願わくば、全ての野球人が怪我や故障なく競技者としての命を全うされんことを!

 不運にも怪我や故障を背負っても、復活に向けての全ての努力が報われんことを!

 

 
 

 

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