チーム・スタイルの栄光(と挫折)12
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フジ
2010年10月11日 20:16 visibility38
2004年9月に試合を行ってから完全に活動がストップしてしまったチーム・スタイル。
復活するまでに1年7ヶ月の歳月を待たねばならなかったのだが、活動再開の様子を記す前に、最後の試合でのちょっとしたプレーと、2005年1月の事件について触れておくことにする。
まず、「ちょっとしたプレー」についてであるが、ことは四球で筆者が出塁したときに発生した。
塁に出て緊張が取れたのか、2メートルぐらいリードをとって、ほんのちょっとボーッとしていたときである。
ピッチャーからの牽制球がファーストに素早く投げられた。
ハッとしたが、すでにボールはファーストがキャッチし、ニコニコしながら筆者にタッチをしようとしてやってくる。
そこで筆者が披露したプレー。
近づいてくるファーストに向かって一言。
「まだ、プレーはかかってませんよ」
「……?」
ファーストはそれを聞いて怪訝そうな顔をしながらも、ピッチャーにボールを返してしまった。
ピッチャーも面くらった様子だったが、ファーストもランナーの筆者の態度も何事もない様子なので、納得はしかねているもののセットポジションに入り、試合続行となった…。
実はこの時、筆者はほんとうに
「まだ審判から『プレー』の合図がかかっていないため、牽制球は無効だ」
と思っていたのである。だからあの一言は、自然に出たものであり、それゆえファーストがひっかかったのであろう。
ただ、実際プレーがかかっていなかったかどうかは、今になってみると怪しいし、この場合タッチされていたらアウトと言われても仕方のない場面である。
かようなプレーが成立したのは、
1 審判が攻撃側審判であったこと。
2 筆者が迫真の演技(ではないのだが)で一言述べたこと。
の2つの条件がそろったからである。
あれをもう一度やれといわれても、できないであろう…。ちなみにこのプレーのことは、試合中にもその後の飲み会のときにも話題にされることはなかった。大したプレーでは無かったのだが、チーム・スタイル正史の一コマとして記しておく。
次に、2005年1月の事件についてである。
1月に試合をやろうという話が前々からあり、明治神宮軟式野球場のグラウンドも押さえていた。
試合当日の昼前にメンバーから電話が入った。
細かい内容は忘れてしまったが、とにかく試合をやるが、監督のあっ!くま・・・・さんはヘルニアのため出場できない、という話だった。
受話器を置いた筆者は、はやる気持ちをおさえグラウンドに向かった。
冬場の明治神宮軟式野球場は閑散としている。ただ1チームだけが、我々が使うグラウンドで練習をしており、やがて時間が来て引き上げていき、グランドは無人の野になった。
…誰もいない。
…誰も来ない。
一抹の不安を抱えつつ、物陰で準備運動をする筆者。
時間になったが、人っ子一人見あたらない。
ジョギングも終え、ストレッチも終わった。
だ〜れも来ない…。
30分ほど待ってみたが、寒さが厳しくなってきたし、一人でポツンとしている姿が情けなくなってきたので引き上げることにした。
当時、筆者は携帯電話を所有していなかったため、自宅に戻ってから監督に電話をかけた。
「あれ? 中止って連絡行かなかった?」
驚きの声を上げるあっ!くま・・・・さん。時々、人を食った冗談を言うのだが、今回は冗談ではないようだ。話をしていく中で、中止の連絡を流したが途中で伝言ゲームのように内容が180度変わってしまった、という結論に達した。
この事件は、ひとつのことを象徴しているように思われた。
「もはや、野球をやっている場合ではないのだ」。
当時、自分を含めて皆、転職・転勤・資格取得・ケガなど、各自がそれぞれの道を歩み出し、その道を歩くのに精一杯の状態だったのだ。野球どころではなかったのである。
大げさに聞こえるかもしれないが、毎日が日曜日の状態が続いていた筆者には、そのように思われた。
野球はひとまず、お預け。自分の生きる道をしっかりさせよう、ということで納得した。
このような冬の状態は、さらに1年間に及んだ。
しかし、終わらない冬はない。2006年4月。チーム・スタイルは復活ののろしを上げるのである。
- 事務局に通報しました。
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