取り留めの無い話
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DIME
2008年05月31日 13:08 visibility115
その前にちょこっと横道。伊原さんにしても野村さんにしてもお互いサービス精神旺盛だねえ、やっぱり人気拡大に悩む球団で監督経験してきた人は違うわ(笑)。
野球の無い日にどうやってスポーツ新聞に取り上げてもらうかって考えてるんだろうね。そのやり方がネガティブキャンペーンなのはよろしくないとは思うけど。
あの場面は、“成功したとしてもまったく意味がない”場面であるのは間違いない、でももうちょっと広い視野で見たとき、「9回2アウトで2点差、走者一塁」と言う場面は“試合の趨勢に関してほとんど影響の無いどうでもいい場面”でもある。この状況から同点に追いつく確率と言うのは0.01にも満たない、0.00Xぐらいのもん。つまり「事前」の時点でその場面の価値はほとんどない。
だから「あの場面は絶対に成功しなきゃいけない場面で、そこで失敗するのは“大きな間違い”」だとかいうのは、「その場面がどれだけの価値があるのか」という事前確率を織り込んでいない。
事前確率が低いのだから、そこで変化した状況に対して「100%の責任」を負うような間違いであろうとも、“小さな間違い”にしかならない。100%というのは数字では1、1以下の数字をどれだけ掛け合わせても元の数字を大きくすることはできないのだからね。
逆にその事前確率を織り込んでしまえば、走ろうが走らまいが、成功しようが失敗しようが、ほとんど価値に変化はない、大元で意味の無い場面なんだから、って事がわかる。それをまるで大きなミスであるかのように扱うのは大間違い。
0.002が0.000になることに、相対的な価値はほぼない。「ゼロになった」という主観での価値の違いは大きいけれども。ほとんどの場面はそれよりも大きな確率の変更を持たす、具体的に言えば、矢野が走塁死するよりあの回の先頭打者が出塁しなかったことの方が大きいし、それより前にはもっと大きな場面が幾らでもある。
「あそこで走るのがバカ」なら、「大勢に影響のない失敗を大袈裟にあげつらうのもバカ」なのよ。
まぁ二人ともお互いわかったうえで「埋め草提供」のために軽口たたいてるんだろうけどね。
じゃあ一番のピエロは誰かと言えば、わかっててやってる冗談を本気で受け取って「なんてザマだ巨人」とか「野村ももうろくしたな」とか言いだしてる人、とっても滑稽ですよ。
ひとつずつの場面を語るには、「その場面がどれだけの得点確率と得点期待値を持つか」という事前確率を織り込まなければいけないのに、大多数の人はそれなしに考え始めてる。
少なくとも野村監督にしろ伊原コーチにしろ、プロ野球の監督・コーチのほとんどはこれまでの言動を見る限りその事前確率を織り込んで野球を考えているだろう。
わかっているのかなぁと疑問に思ってしまうのはマスコミぐらいか。わかってて記者やってるのだろうと信じたいが、偶にわからずにいなければ書ける筈の無い文章を書くから、あれがシニカルで知的なジョークなのか天然なのか疑念を抱いてしまう(笑)
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で、前の話から続くのだけれど、ミスを批判する時に、間違ってはいけないことがある。特に野球のような「ミス=失敗」のほうが多い。
じゃあそういうときに、ミスのどこに何が問題があるのか。失敗のね、『有無』で決まってんじゃないよ。『多寡』で決まってんだわ。そこを勘違いしてはいけない。
別の言い方をすればどういうことか。「ミスがあったこと」で批判するのは正しくない、「ミスが(相対的に許容範囲よりも)多かったこと」で批判しなきゃいけないわけ。
100回に35回成功するカードと25回成功するカードと、一回一回の試行で後者のがミスが出やすいのは当然。
だけれども。その一回を見ただけで、確率が低い事に拠るものか、何らかのミスに拠るものか、本気で判断つくと思うの?
例えば、100回投げて70回は1が出るサイコロと100回投げて75回は1が出るサイコロがある。まあんなもん現実にはないが。
で、一回だけ振ってみたら1が出た。それでどっちのサイコロかわかるかって話、少なくとも私は超能力者じゃないんでそんなもん区別がつかない、もちろん『どっちである可能性が高いか』は違うけどね。
で、だ。野球にはね、『1が絶対に出ないサイコロ』はないんだわ。あるかも知れないが少なくとも私の知る範囲にはない。だからね、『1が出た事』で論評すんのはおかしい。
絶好球の見逃しも、ボール球打つのも、誘い球打たれるのも、なんか特別なこと?1シーズン見続けていても見ることが出来ないような超レアなこと?野球の打席で7割ぐらい発生している『通常の』ミスに入らない特別なこと?
んなわけないでしょ。そのミスはミス全体の一部分に必ず含まれるミス。ミスの積み重ねで負けるべくして負ける?当たり前じゃん、そうでない方がおかしいわ、全ての負けは失敗を積み重ねる必要があるのだから。
ミスはミス、そこに主観的な区分けをしたって何の意義もないよ。確かにそのミスで点を取られたかもしれないね。でも失点はほとんど全部そういうものだろ?
打率10割なんていない、コントロールミス全くなしなんてない。ミスはあるんだ、そこに。
とある場面でミスがあった時に、そのミスは「当然のミスの範疇」に無いミスだと断言できるか?「範疇に含まれない」ミスで無い限り、『あのミスがあったから』なんてのはバカげてるよ。
『空気抵抗はないものとする』で机上の論理は組み立てられても、大気圏内にいる限り、空気抵抗のない運動はできない。
机上で組み立てるならそれで結構。でもそれをね、実際にそこにある飛行機に対して、『空気抵抗はないものとする世界』での最適なモデルと違ってると批判するのはアホっぽいよなね。
いくら「ミスの無い完璧な世界」ではそれが正しかろうとも、現実が「ミスの無い完璧な世界」では無い以上、それを前提とした議論は、仮定の域を出ることはない。
ミスはあるのよ、あって当然なの、それを忘れてちゃいけない。繰り返すけど、そのあって当然のミスの『有無』で決まってんじゃないよ。『多寡』で決まってるの。
だあらミスが『有ったこと』だけを論拠に批判していたりするとすれば、それは間違い。
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話ついでにもう1つ。
ガラっと変わりますが、ここ5シーズンぐらいを見たときに、巨人には阪神と中日に対して、数段劣っているところがあります。
それがIsoD、平たく言えば、四死球の数が圧倒的に少ない。
これはチームの傾向として間違いなく劣っています、今の巨人にあるもっとも大きな改善箇所の1つだといえるでしょう。
それについて、道作さんが、巨人はチームとして四球を選ぼうとしない雰囲気があるんじゃないかって言ってた事がありました。去年の小笠原がびっくりするぐらい四球を選んでなかったからですが。
で、この前の楽天戦のあとの周辺環境(ファンの声とかマスコミの記事とか)みてると、それもあながち冗談じゃないかもなぁって思えてしまいます。
見逃し三振が多いのがまるで悪いことのような声ばかり、これじゃ変になってもおかしくない(笑)。
使い古された言葉ですが、特に高校野球とかで毎年のように見かける、見逃し三振に対する苦言。
「バットを振らなきゃor当てなきゃ何も起きない』って言葉が良く出てくる、これは大嘘ですからね。
だって四球が「起きます」から、何も「起きない」なんてことはない。
四球はね、最後の一球を見逃さなきゃ絶対に成立しません、振ったら四球には100%ならない。
見逃さなきゃ四球はないの、振ったら四球は発生しない。
「四球を選ぶ為の見逃し」という作業を遂行すれば、その余波として絶対に見逃し三振は増える、ストライクゾーンはいつでも一定ではないから。特にストライクゾーンが荒れてる試合の時は非常に多くなる。
なんでそんな事も気付かない人がいるんだろうね。
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それと、巨人。ゴンザレスの件に関するページへのリンクを表から外すの早すぎ。
巨人側に瑕疵がなかろうとも、管理者責任として内部から違反者を出した事に対する活動の周知徹底と謝罪に関してはやりすぎはない。
1週間にも満たないどころかたった数日で、「ニュースの1つ」にしてしまうのは、このドーピング問題に対する危機意識、問題意識の欠如とみなされてもしょうがない。今の対応方法は間違っている。
(2008/6/3 追記)
一応表のニュースの中には含まれるようになっていました、書いた時点ではそれすらなかった気がするんですけど、そうだとすれば少しは良くなったのか。全然足りないと思うけど。
- 事務局に通報しました。
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