
高橋Qちゃん
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うめさん
2007年07月21日 00:01 visibility104
TVに出ていた。同い年だ。
僕が見た最初のレースは風呂場の流し場を走ると言われた1998年のバンコクだった。35キロまで世界記録で飛ばしたのにド肝を抜かれた。
2000年のシドニー五輪は当たり前だが凄かった。
20キロあたりで大きな橋を渡った。日本で言うとベイブリッジとかレインボーブリッジのような船舶の通過を最優先したバカ高い橋だ。市橋を含め殆どの選手がその坂で振り落とされた。高橋にすがり付いたのは1997年のアテネの世界陸上でゲロを吐きながら銅メダルを捥ぎ取ったリディア・シモンだけだった。
小出監督曰く「マラソンはスタートラインに付いた時に勝負がついている」だそうだが当時の2000メートルを越える山道での走りこみは今や伝説だ。
その結果として、翌年のベルリンでの世界記録など当たり前でしかなかった。
あれから、お互いにずいぶん時間がたった。その間、心拍数36回/分の天才金メダリストは厳しい練習を続けて来た。ひっくり返るように酒を飲み続ける生活を送ってきた自分を比べるのはあまりに不遜なのは承知している。申し訳ない。しかし、流れた時間は同じなはずだ。
金メダリストはもはやオリンピック出場だけを目的に練習なんか出来ないだろう。例えば6位入賞など努力に値する勲章では有り得ない。
今、僕も僕なりの若いときのマックスに近い、と言うよりもそれを越える結果を自分に課している。
しかし、体だけは老いている。認めたくないし実感なんかしたくないが現実は現実なんだろう。ラップタイムを時計が刻む彼女の場合、現実は更に残酷にリアルに過ぎる現実性を帯びているのかも知れない。
いずれにせよ。アイツの練習に比べれば俺なんか練習しているうちに入っちゃいない。「精神くらいはアイツ並に締め上げてみろよ」と自分に気合を入れようとするのだが、そんなイチ視聴者の気持ちをヘラヘラ笑いながら「右から左へ受け流す〜♪」のがQちゃんなんだなぁ。オレは中山竹通みたいくなっているのに・・・・(泣笑)
金本のアニキは膝の半月版の損傷を「痒い」と言ってた。ウチの監督兼エースも首に掛けてる。オレも買ってみようかな、ファイテンの首輪・・・・。
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