教育できなかった球団巨人 教育できなかった理由
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舎人
2016年03月09日 03:40 visibility1034
賭博事件でなんだか開幕どころではなくなった感じですが、今回の賭博事件について私なりに思うところと、球団への提言を書いて行きたいと思います。
まず、原さんの不倫暴露事件があった時のことを思い出して欲しい。読売は事の本質を誤摩化していなかったか?読売は清武サイドの秘密漏洩を問題視していた感じでしたが、事の本質は原さんの不倫や清武がどうのこうのではない。現役の監督が反社会的団体と接触を持ち、のみならず利益供与を行った事が問題であり、それを球団ぐるみで隠蔽していた事が問題だったのだ。つまり、原と清武は共犯だったということ。膿はこの時に出しておかなくてはいけなかった。
笠原たちを悪い道へ誘った者たちは、常日頃、彼ら選手たちの近くにいるのだろう。毎日のようにすれ違っているに違いない。それを監督の犯した大罪をうやむやにしておいたとしたら、自ずと選手たちの箍(たが)は緩むだろう。事態の大きさを認識できなくなるだろう。「ばれなければ・・」と思うだろう。
コンプライアンスは社会をある意味つまらなくするものだと思う。一種のきれいごとだと思う。しかし、そのきれいごとを並べることから物事を始めないといけない時代なのだ。選手を教育することはことの外大事。ならば誰が選手たちを教育するのか?監督か?GMか?オーナーか?
私が見聞きした限り、巨人は清武事件によって、フロントが現場にモノを申すことを憚るようになってしまったように思う。それは監督の原さんが口出しされる事を嫌ったからではないかと思う。もしそうならば原さんが選手たちを教育をしなければならなかった。そして、それが行われていないのなら、そのことを誰かが原さんに指摘して教育するように促すなり、誰か代わりの教育係を立てなければいけなかった。今回の事件はそのどちらもできていなかったことに依るものではないのか。
今回の事件を期に、球団は抜本的な体質改善を図る事を迫られるだろう。外部から人を招くなりして、今までの隠蔽体質を改めるべきだろうし、今までの教育体制も見直さなくてはいけない。球団のコンプライアンス部門によって、選手たちの研修は行われていただろうが、そこから先は現場任せで、監督やコーチの仕事のように考えていたのではないか。今回の事件はそういった巨人の教育体制がダメだったことが露呈したことでもあるのだから、今までの方針を見直さなくてはいけないということ。「一新」はここから始めるべき。球団を挙げてどうしたら選手たちが事の重大さを認識し、自分で自分の身を守ることができるようになるかというリキュラムを構築して行くべきだと思う。
このように私は今回の賭博事件の原因を、巨人の体質と、清武事件から始まったフロントと監督との確執にあると思っているのだが、昔と違って球団がやらなくてはいけない事が多岐に渡って増えている今のような時代、以前より大きなフロントが必要な時代だと思っているのです。優秀で万能で人格的にも優れている監督がいれば、その人にチームの方針から編成、選手への教育まで任せることができた時代はあったのかもしれない。しかし、それを目指した原さんの時代に起きた今回の問題は、それが無理だということを教示していると思う。監督はチームの象徴だから、皆が敬意を払い、皆の中心にいるべきものだと思う。しかし、監督に権限をいたずらに集めるべきではない。そして、責任も求めるべきではない。編成や選手起用の話同様にフロントの役割なり負担はずっと大きくなくてはいけないと私は思う。これからのチームは高橋監督の下、そういう方針に切り替えて欲しい。
最後に球団へのお願いだが、過ちを犯した者たちが、十分反省し、その罪を償った暁には、社会復帰のために手を貸してあげて欲しい。球団は禊が終われば、またチームを運営し、試合を開催することでしょう。しかし、今回の事件にかかわった選手たちは、このまま事件が沈静化しても、社会的には厳しいままだと思う。ただ、彼らは実に愚かなことをした訳だが、無知故に犯した過ちなのだ。残りの人生を生きて行くために、どこかで彼らに禊のチャンスを与えてあげて欲しい。そこまでして、ようやくこの事件は球団としての結末を迎えられるのだと私は思う。
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