クラブ>代表 (まずはオレ史の中で日本代表を考えてみた)
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J_23
2006年03月13日 18:06 visibility133
観戦記の最後に書いたが
クラブ>代表
の図式が俺の中ではっきりしてきた。
もっと具体的に言えば
ジェフ>日本代表
ということだ。
原因はわからない。
代表への思いが下がったからか?
ジェフへの熱い思いがより一層熱くなったからか?
代表にジェフの選手がいないからか?
だから自己分析してみる。
グダグダと。
自己分析なので、一切まとまりはなし。支離滅裂。
まずは、日本代表とは…の定義付け。
俺の中での「日本代表」といえばやっぱりドーハになるのだろうか?
韓国戦ではKAZUのゴールに感動し、あの“韓国”に勝ったという満足感と
夢のW杯出場を期待した。
ただ、この時はW杯を正しく理解していない。翼くんが目標にしていて
マラドーナがどえらいことをやった大会くらいの認識。
夢なんてつけるのは本当はおこがましい。
そして一生語り継がれるであろう運命のイラク戦。
キャプテン翼並みに一歩も動けなかった松永の傍観シーンや
シェークスピアの作品並みに悲壮感を漂わせていたゴンの崩れ去るシーンや
頭の中が真っ白とはこういうことをいうのだろうというくらいわかりやすかたラモスの座り込んだシーン。
10年以上経つであろう今でも鮮明に覚えている。
「え?なになになに???どういうこと?」
としか俺も思えなかったことを覚えている。
このときの“日本代表”を俺は強烈に応援していた。
時代に流されていた部分も多分にあっただろうが。
間違いなく、このときの日本代表は好きだった。
そして、フランスW杯アジア最終予選。
このときは本当にドキドキした。W杯に出られるのかどうか?
1試合1試合の結果がすべてにつながるあのドキドキ。
それにも関わらず、まったく上手く機能していない代表チーム。
俺はアトランタ世代がかなり好きだったので
どうして“ゾノ”を使わないのか?とずっと個人的には思っていた。
このときに俺が好きだった選手は“ゾノ”だった。
アトランタ五輪のアジア予選などで光輝いていたあいつに俺はすっかりやられていた。
そう考えると、俺の中での日本代表の位置付けで言うと、今の日本代表と一番近いのが
このフランスW杯の時なのかもしれない。
阿部のいない日本代表とゾノのいない日本代表。
でも、フランスのときには日本代表を素直に応援していた。
岡田がKAZUを切ったときもなんとも思わなかったし。
(裏切り者の)城のことも許せていたし。
ゴンちゃんがいたのが大きいのだろうか?
小野という才能も見つけられたし。
とにかく、このときの日本代表も俺は好きだった。
2002年も好きだった。テレビの前にかじりついた。
可能性がとても感じられたからだ。
アトランタ世代とシドニー世代の融合。
俊輔が切られたところでなんの影響もなかった。
たとえ、韓国より先に負けてあいつらがなにを言っても
気にしなかった。
それは“4年後”がとても期待できたからだ。
こいつらがあと4年という歳月をかけ成長したらどうなるのだろうか?と。
ただそれだけ。この期待はとてつもなく大きかった。
そして2004年に“谷間”と言われ続けた新たな才能たち。
決して谷じゃねーよ。と思い続けて応援した阿部、松井、大久保、茂庭。
(あんまり言いたくないけど監督がね…)
こいつらが代表に絡んでいければすごい面白そうだと感じた瞬間だった。
日本代表への思いが下がった理由がわかってきた。
昔は代表のメンバーについてどうこう思わなかったんだ。
思えるほど情報や知識が俺になかった。
だから、代表監督にただただついていっただけ。
彼らの作ったものに対して素直に応援していただけ。
素直に応援せざるを得なかっただけ。
既製品に満足していただけ。
いまは多少俺が変わってきて、“自分の日本代表”が作れるようになった。
その個人的な希望の日本代表と現実の日本代表とがあまりにも
かけ離れているので不貞腐れている状態なのだ。
俺が。
だから気持ちが遠のいてしまっているのだろう。
オーダーメイドじゃないと我慢できなくなってきたのだ。
あとは期待した4年間に対して結果が伴っていない
とか
W杯のアジア枠が広くなりすぎて予選でドキドキしなかった
とかあるけどこんなところだと思う。
2010年の南アフリカに気持ちを飛ばす。
シドニー、アテネ、北京。
この才能たちを上手に味付けできる監督。
海外と国内を上手にミックスできる監督。
やはり、フランス料理のシェフに任せるしかないのか…
ブラジル料理のシェフには無理だろう。
日本人の舌は繊細なのだ!
- 事務局に通報しました。
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