☆全国中等学校野球史(47)~沖縄~

沖縄県で野球が始まったのは明治27年のことである。この年の5月、沖縄中(沖縄一中→首里)が初めて県外に修学旅行に出かけ京都を訪れた際に、第三高等学校で初めて野球を見た。そこで、三高の学生からルールを習い、野球用具を譲りうけて帰郷した。その後、沖縄中に野球部が創部されたが、対戦相手はなく、紅白戦を行うのみであった。
明治36年、那覇に寄港した米国海軍の乗組員が首里城見学の途中で、沖縄中の野球練習を見て驚き、試合を申し入れた。沖縄中の初対外試合は国際試合となった。
その後も暫く対戦相手がいなかったが、明治43年になって沖縄二中(那覇)が創立、野球部も創部され、大正3年からは、沖縄一中と沖縄二中の間で定期戦が開催されるようになった。
また、対戦相手に恵まれない沖縄では、中等学校と実業団が合同で大会を開いたていた。しかし、大正9年の第5回沖縄県選手権大会の決勝で、台南精糖に敗れた沖縄一中の応援団が台南精糖の宿舎を包囲し警察が出動する騒ぎとなり、以降、中等学校と実業団は別に大会を開くようになった。
大正10年、沖縄一中が鹿児島の第七高等学校が主催する南九州中等学校野球大会に招待され、沖縄県勢が初めて本土に遠征した。
沖縄県勢が初めて予選に参加したのは、大正11年の第8回全国大会九州予選で、沖縄一中と那覇商の2校が参加した。
以降、九州予選に参加するようになったが、他県の壁は厚く予選を勝ち抜くことはできなかった。


初代表校
首里(昭和33年夏)

初勝利校
首里(昭和38年夏)

最高成績
優勝

春夏通算成績
94勝76敗

最多勝利校
沖縄水産 21勝
興南   21勝
沖縄尚学 21勝





以上です。

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