☆『神無月の頃』
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鶴丸 深志’
2011年11月06日 16:02 visibility401
我が国では10月を神無月(かんなづき)と呼びます。これは10月に日本中の神様が、出雲の国(島根県)に集まり会議を開き、他の国には神様が居なくなってしまうことからそう呼ばれてきました。神様の集まる出雲の国では反対に10月は神在月(かみありづき)と呼ばれています。この会議は旧暦の10月11日から17日までの間、出雲大社で開かれ、その後、佐太神社に移動し26日まで会議の続きを行います。その期間に出雲大社と佐太神社では神在祭が行われます。この神様の会議が行われるようになったのは、大国主神が日本の国土を開発した神様でその時自分の息子や娘を各地に配置し、その地を管理させたことに由来します。子供たちは年に1度出雲の国に戻り、父親である大国主神にその年の出来事を報告し、来年の予定を打ち合わせするようになったのです。後に大国主神系以外の天照大神系の神様も出雲へ来るようになりました。大国主神は天照大神に日本の支配権を譲ったとき、代わりに幽界の支配権を得たと言われています。物質的な物事については天照大神とその子孫である天皇家が管理しますが、精神的な物事については大国主神とその子孫が管理します。そこでこの会議では一般的に人の運命について話し合われます。なかでも誰と誰を結婚させるかなどと言うことをこの会議では議題に上ります。遠く離れた見知らぬ同士が知り合い結婚するようなケースはこの会議の結果からかもしれません。そのため、出雲大社は縁結びの神様としても信仰されています。
そういえば、兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期に書いた徒然草の第十一段に「神無月の頃」があります。
『神無月の頃、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるゝかけ樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に、菊紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわゝになりたるがまはりを、厳しく囲ひたりしこそ、少しことさめて、此の木なからましかばと覚えしか。』
この文章を現代語に訳すと、概ね以下のようになります。
神無月(旧暦10月)の頃、栗栖野という所を通り過ぎて、ある山里にたずね入る事がありましたが、遥かな苔の細道を踏み分けて行くと、心細い様子で誰かが住んでいる庵があった。木の葉に埋もれる懸け樋の雫以外には、まったく音を立てるものがない。仏前に水・花を供えるための閼伽棚には菊や紅葉などが折り散らしてある。さすがに誰か住む人がいるからだろう。こんなに荒れていても住んでいられるのかと、憐れに思って見ていると、向こうの庭に大きな蜜柑の木が、枝もたわむほどに実をならせていた。しかし、蜜柑の木の周りを厳しく囲っており、少し興ざめして(庵の家主のケチ・吝嗇な人柄を推測させる)、この木が無ければ良かったのにと思った。
この文章を今風に訳すと、概ね以下のようになります。
神様が、みんな出雲に遊びに行くころ、栗栖野というところを越えて、とある山奥をぶらぶらしていたときに、果てしない苔の小径を歩いて奥へ進んで行くと、一軒の超ぼろい家があった。木の葉で隠れた、飲料水採取用の雨どいを流れる滴の音以外は、全く音が聞こえてこない。お供え物用の棚に、菊とか、もみじが飾ってあるから、超信じられないけれど誰かが住んでいるのに違いない。「すげぇ~奴がいるもんだ、よくこんなところで暮らしているなぁ~」と心ひかれて覗きをしていると、向こうの方の庭に超でかいミカンの木がはえていて、枝が折れそうなぐらい超いっぱいミカンが実っているを発見した。そのまわりは超厳重にバリケードで警戒されていた。それを見たら、今まで関心していたこともばかばかしくなってしまい「こんな所にまで来てミカンを盗む奴がいるかよ、ってゆ~か何か幻滅、こんな木はなくなってしまえばいいのに」と思った。
せっかくの機会ですので、島根県の出雲市を紹介しておきましょう。出雲市は、「神話の國出雲」として共通の歴史・文化的風土、恵まれた自然環境のもとに、平成17年3月22日、出雲市、平田市、佐田町、多伎町、湖陵町、大社町が合併して誕生しました。面積は543.48平方キロメートルで、北・西部は日本海、東は汽水湖である宍道湖に面し、斐伊川と神戸川により形成された出雲平野を中心とする水と緑豊かなまちであり、ぶどう、柿、いちじく、出雲そば、島根ワインなどの特産品が有名です。出雲市は、古代日本国誕生のロマンに溢れる出雲神話のふるさとであり、出雲大社や西谷墳墓群など多くの歴史遺産により、歴史文化のシンボル空間を形成しています。平成19年春には県立古代出雲歴史博物館が開館したほか、出雲弥生の森博物館の整備を行うなど、歴史文化が織り成す『神話観光大国』の創造に向けて邁進しています。また、高度な医療機関が集積し、福祉・教育の充実にも力を入れています。さらにワールドカップキャンプ地にもなった出雲ドームや湖遊館といったスポーツ施設のほか、マリンレジャーで賑わう多伎海岸には、海洋療法(タラソテラピー)施設のマリンタラソ出雲がオープンするなど、市民が活き活きと暮らせる高度な『健康文化都市』の確立にも力を入れています。一方、世界的な課題である環境問題に力を入れていくため、大規模風力発電、バイオマスや水素の活用といった新エネルギーの開発計画を推進するとともに、リサイクル世界一に向けた取り組みの強化により『環境先進都市』を目指しています。
そんな出雲市には、夏の予選皆勤校である、大社高校があります。
その大社高校は、秋の島根県大会で20年ぶり6度目の優勝を果たし、2年連続で中国大会進出を決めていました。「神無月の頃」の10/29、中国大会の一回戦で広島観音を6‐2で破り、「神無月の頃」の10/31、準々決勝では尾道を9‐1で破りました。しかしながら、霜月となった11/6、準決勝で鳥取城北に0‐7で敗退となり、来春の選抜出場が厳しくなりました。一部の夏の予選皆勤校マニアにとっては、今回も厳しい冬を迎える事となりそうです。
大社高校といえば、やはり竹内まりやです。竹内まりやの実家は、出雲大社近くの老舗温泉旅館「竹野屋」で、世界で通じるようにとの父の考えから「まりや」と名付けられました。島根県立大社高校在学中に、アメリカ・イリノイ州ロックフォールズ高校に1年間留学、その後、慶應義塾大学文学部に進学、在学中に本格的に音楽活動を始めました。
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