☆スローカーブをもう一球 ~高崎高校放浪記~
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鶴丸 深志’
2011年11月12日 23:55 visibility24267
群馬県立高崎高校は群馬県高崎市に所在し、1897年(明治30年)4月に群馬県尋常中学校群馬分校として創立された男子校で、群馬県内有数の進学校である。地元では、『タカタカ』の愛称で親しまれている。
野球部は1898(明治31年)に創部され、群馬県内では前橋高校に次ぐ歴史を有する。
夏の全国大会予選には、群馬県勢としては前橋中(前橋高校)、太田中(太田高校)に次いで、桐生中(桐生高校)、富岡中(富岡高校)、群馬師範とともに、1923年(大正12年)の第9回大会予選(関東大会)に初参加した。結果は前橋中に 3 - 15 で敗退となった。
夏の予選初勝利は、翌年の第10回大会予選(関東大会)で、熊谷中(熊谷高校)に 11 - 0 で勝利した。
山際淳司 著『スローカーブをもう一球』は、今から30年前、この高崎高校のエース川端投手が、130キロそこそこの直球とスローカーブを巧みに操る頭脳的な投球で、強豪校を次々と破っていく快進撃を描いたものである。
1980年秋の群馬大会で快投を続け、二回戦で沼田に 5‐2 で勝利、三回戦で前橋育英に 13 - 0 のコールド勝ち、準々決勝で前橋商に 7‐2 で勝利、準決勝では高崎商に 3‐0 と快勝し、秋季関東大会への出場を決めた。決勝でも勢いは衰えず、吉井に 2‐1 で競り勝った。
関東大会では、一回戦で茨城3位の水戸農に 8‐0 のコールドで快勝、準々決勝で栃木1位の国学院栃木に 3‐2 で辛勝、準決勝では茨城2位の日立工に 2‐0 で競り勝って1981年のセンバツ大会出場を決めた。(当時の関東出場枠は3校)
主人公である川端投手は、剛速球が投げられるわけではなく武器はスローカーブ。努力とか根性とか、頭悪くて嫌いとひねていた。
高校野球はひたすら基本に忠実に打ってくる。そして、基本から外れた球がくるとうろたえてしまう。川端は、スローカーブが打者のタイミングを外し、心理的に揺さぶる効果があること、そしてスピードに緩急差をつけ、コーナーを丹念に狙うと打ち込まれないことを知った。
正面からがむしゃらにいくだけが能じゃない。頭を使って工夫して、かわしていればチャンスは必ずやってくるんだ、と川端。
ストーリーは、この試合に勝てばセンバツの切符が手に入る関東大会準決勝、開催地である茨城2位の日立工との9回裏の大ピンチの場面から始まる。
三塁側のスタンドが狂ったように騒ぎ始めたのは、先頭バッターがショートのエラーで出塁し、次のバッターが一二塁間を抜いて最後のチャンスがやってきたからだろう。
マウンド上の川端は三塁側の応援をうるさいなと感じながらも、同時に、敵地にのりこんで試合をする場合の「心得」を思い出していた。
《応援はすべからく自分に向けられていると思え》
それを思い出せるんだから自分はまだ冷静なんだなと思い、勝を急ぎすぎたことを少しばかり反省した。
川端の投げている準決勝の9回裏は、甲子園に出場できるか否かを決める、かなり重要なイニングだった。
彼は、しかし、ほとんど冷静であった。こういうとき、いつもそうするように、彼はネット裏を見た。ゆっくりと見渡し、一人一人の顔を識別する。ひょっとしたら、と川端は思う。
《見ているほうが、ぼくより興奮しているんじゃないかな》
みんな肩に力をこめて、このシーンを凝視していた。それをみると落ち着ける。自分が誰よりも冷静かもしれないと思って、落ち着けるのである。
川端は、ここで打ちこまれて逆転されるとは思っていなかった。むしろ、なんとかなるだろうと高をくくっていた。
川端の思惑通り、後続の打者が打ち取られ 2‐0 で勝利し、誰も予想しなかった初の甲子園切符にスタンドに集まった100人ほどの応援団は選手以上に興奮し、「これで思い残すことはない」と涙を流すOBもいた。それもそのはず、高崎高校に野球部が創部されてから83年、その間、一度も甲子園出場はなかった。所謂、進学校であり、野球名門校がしのぎを削りあう近年の高校野球のなかでは甲子園出場は容易ではなかった。
そのニュースを聞いた、卒業生である福田赳夫(第67代内閣総理大臣)、中曽根康弘(第71・72・73代内閣総理大臣)も「早速、寄附せねばいかんな」と語った。
そして決勝の相手は優勝候補であった千葉1位の印旛高校(現・印旛明誠高校)。
川端投手は、対戦相手の3番打者、プロのスカウトも注目する月山選手に、対抗心を燃やす。
川端は曲がりくねった道を歩いていきそうな自分を感じることがある。夢がそのままの形で実現するようなことはないだろう。
ヒーローになんてなれるわけないんだと思う。人生、劇画のように動きやしない。
川端は月山を見た。川端には珍しく、無性に抑えたくなった。それも得意なスローカーブで。
キャッチャーがサインを送った。その指の形はこういっている。
《スローカーブを、もう一球》
この直後、川端は月山を三振に打ち取り、そこで力が抜けてしまったかのように4安打を浴び、県大会以来初めて敗戦投手になった。スコアは 2‐5 であった。
今秋、高崎高校が群馬2位で関東大会に出場した。初戦で千葉2位の東海大望洋、準々決勝では山梨1位の東海大甲府と強豪校を次々と破り見事にベスト4進出を果たし、来春のセンバツが有力となった。
30年前と同じような高崎高校の快進撃に、こんな言葉を思い出した。
「野球というのは、必ずしも強いチームが勝つとは限らないスポーツ。」
優秀な選手が集まったからといって常に勝てるとは限らない。特に、一発勝負の高校野球は何が起こるかわからない。だから面白い。
以上です。
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