☆高校サッカー&春高バレー&甲子園出場校放浪記~市立船橋~


久しぶりに、横断幕や垂れ幕を捜してみよう。
手っ取り早いところで、JR総武線の各駅停車に乗り、東船橋駅で下車した。
船橋市といえば、日本の市の中では、横浜市の3,671,776人、大阪市の2,661,700人、名古屋市の2,257,888人、札幌市の1,904,254人、神戸市の1,536,685人、京都市の1,465,816人、福岡市の1,450,838人、川崎市の1,409,558人、さいたま市の1,212,281人、広島市の1,170,642人、仙台市の1,033,515人、北九州市の982,805人、千葉市の955,279人、堺市の837,853人、新潟市の812,223人、浜松市の811,397人、熊本市の729,739人、静岡市の717,198人、相模原市の712,318人、岡山市の704,189人、鹿児島市の605,424人に次ぐ、人口600,025人を有しています。
今からもう二十年近く前になるだろうか、アタシがこの駅の駅長をしていた頃(やや嘘)を思い出す。当時は駅前には何もなく、少し歩くとあたり一面に畑が広がっていた。現在はコンビニやドラッグストア、アパートやマンションと当時とはかなり様変わりしていた。
東船橋駅の北口に出て、線路沿いを西に歩いてみる。津田沼駅方面でなく、船橋駅方面だ。
少し歩くとT字路にぶつかる。左右の安全を確認し道路を横断、右に少し歩いて、左側にある細い路地を歩いていくと校舎が見えてきた。
ここが、市立船橋高校である。


市立船橋高校は、千葉県代表として第90回全国高等学校サッカー選手権大会に出場する。3年ぶり18回目の出場のようだ。(横断幕は使いまわしかな?)
市船といえば、皆様ご存知の通りサッカーの名門校で、選手権大会では優勝4回、準優勝2回、4強2回を誇り、通算成績は47勝13敗である。
勝利数は、帝京の78勝、国見の66勝、藤枝東の53勝、鹿児島実の52勝、韮崎の50勝、四日市中央工の48勝に次ぐ数字である。
また、高校サッカーの聖地である国立競技場での試合数は、国見の21試合、帝京の17試合に次ぎ、鹿児島実と並ぶ13試合である。
参考までに、国立競技場で5試合以上の経験を持つ学校は、四日市中央工、武南、韮崎の7試合、清水商、東福岡の6試合、古河一、清水東、静岡学園、滝川二の5試合となっている。


垂れ幕をみて分かったのだが、市立船橋の女子バレー部も1/5~1/9に開催される春高バレーに、2年ぶり21回目の出場を果たしているようだ。


 


第12回 1926 (大正15)千葉師範
第14回 1928 (昭和3) 関東中
第17回 1931 (昭和6) 千葉中
第18回 1932 (昭和7) 千葉中
第20回 1934 (昭和9) 関東中
第21回 1935 (昭和10)千葉中
第22回 1936 (昭和11)千葉中
第25回 1939 (昭和14)千葉商
第26回 1940 (昭和15)千葉商
第28回 1946 (昭和21)成田中
第29回 1947 (昭和22)成田中
第30回 1948 (昭和23)成田
第32回 1950 (昭和25)千葉一
第34回 1952 (昭和27)成田
第35回 1953 (昭和28)千葉一
第36回 1954 (昭和29)千葉商
第37回 1955 (昭和30)成田
第38回 1956 (昭和31)千葉商
第40回 1958 (昭和33)銚子商
第43回 1961 (昭和36)銚子商
第44回 1962 (昭和37)習志野
第45回 1963 (昭和38)銚子商
第46回 1964 (昭和39)千葉商
第47回 1965 (昭和40)銚子商
第49回 1967 (昭和42)習志野
第50回 1968 (昭和43)千葉商
第52回 1970 (昭和45)銚子商
第53回 1971 (昭和46)銚子商
第54回 1972 (昭和47)習志野
第55回 1973 (昭和48)銚子商
第56回 1974 (昭和49)銚子商
第57回 1975 (昭和50)習志野
第58回 1976 (昭和51)銚子商
第59回 1977 (昭和52)千葉商
第60回 1978 (昭和53)我孫子
第61回 1979 (昭和54)市立銚子
第62回 1980 (昭和55)習志野
第63回 1981 (昭和56)銚子西
第64回 1982 (昭和57)東海大浦安
第65回 1983 (昭和58)印旛
第66回 1984 (昭和59)拓大紅陵
第67回 1985 (昭和60)銚子商
第68回 1986 (昭和61)拓大紅陵
第69回 1987 (昭和62)習志野
第70回 1988 (昭和63)拓大紅陵
第71回 1989 (平成1) 成東
第72回 1990 (平成2) 成田
第73回 1991 (平成3) 我孫子
第74回 1992 (平成4) 拓大紅陵
第75回 1993 (平成5) 市立船橋
第76回 1994 (平成6) 志学館
第77回 1995 (平成7) 銚子商
第78回 1996 (平成8) 市立船橋
第79回 1997 (平成9) 市立船橋
第80回 1998 (平成10)東千葉:八千代松陰 
                     西千葉:市立船橋


 


上記は、千葉県の学校が初めて夏の甲子園大会に出場した第12回大会から第80回記念大会までの代表校を記述したものである。
過去において、夏の千葉大会にはあるジンクスがあった。そのジンクスを破ったのが市立船橋であり、千葉県民なら老若男女、誰もが知っている有名な話である。


1981年(昭和56年)に銚子西(現在は市立銚子に統合)が甲子園に出場して以来、一年おきに私立校と公立校が優勝していた。
東海大浦安(私立)、印旛(公立)、拓大紅陵(私立)、銚子商(公立)、拓大紅陵(私立)、習志野(公立)、拓大紅陵(私立)、成東(公立)、成田(私立)、我孫子(公立)、拓大紅陵(私立)、市立船橋(公立)、志学館(私立)、銚子商(公立)と実に15年間そのジンクスが続いていた。
1996年(平成8年)夏の千葉大会は、ベスト8のうち7校が私立となり、この年もジンクスは守られると誰もが思った。公立校として唯一残った市立船橋は、専大松戸、八千代松陰、そして決勝で二松沼南を下して優勝を成し遂げた。前年の銚子商に続き公立校の連覇でついに千葉のジンクスは破れた。
その後も市立船橋は、東京湾横断道路アクアラインが開通した翌年、記念大会で参加校の多い千葉から初の2校出場となった翌々年と3年連続で甲子園を射止めた。3年連続出場となるのは、夏の千葉大会の歴史において昭和21年~23年の成田高校以来の快挙であった。
夏の予選参加校が170校を超える千葉であるが、それ以降も市立船橋をはじめ、銚子商、柏陵、習志野、八千代東など代表校は私立校に偏ることなく、公立校が甲子園出場を果たしている。また、番狂わせも多々ある。
野球のレベルが高く、これだけの参加校がありながら、古豪、新興校、私立校、公立校の実力が拮抗した県は全国的にも珍しいと思われる。これが戦国千葉といわれる所以であろう。


 


んっ?


 


 


 


以上です。

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