☆牛込柳町ぶらり途中下車
-
鶴丸 深志’
2011年12月06日 20:52 visibility730
都営地下鉄大江戸線の牛込柳町駅でぶらり下車した。
階段を上り地上に出てみると、駅周辺は閑静な住宅街であった。住所は新宿区であるが、大都会の雰囲気とはやや趣が違っている。
この駅の西側には長らくフジテレビの所在地として全国的な知名度を誇ってきた河田町があり、東側には江戸時代から続く歴史あるおしゃれな観光スポットの神楽坂がある。
どちらに行こうか迷ったが、河田町方面に向かってみる。200メートル程歩いただろうか、日本体育会発祥之地という石碑を見つけた。
日本体育会とは、日本体育大学、日本体育大学女子短期大学部、日体荏原高等学校、日体桜華高等学校、柏日体高等学校、浜松日体高等学校、桜華女学院中学校、浜松日体中学校、日体柔整専門学校、日体幼稚園を傘下に有し、学生・生徒数は約1万人を擁する学校法人である。
学校法人日本体育会は、1891年(明治24年)に日高藤吉郎翁氏によって体育・スポーツの発展とその指導者養成を目的として創設され、創設から110有余年を経ており、この間、体育・スポーツ、教育分野で数多くの実績を残し、幾多の人材を輩出している。また、近年ではトップアスリート養成において顕著な実績を築いており、多くのオリンピック・メダリストや名選手、優れたスポーツ指導者を輩出している。
ついうっかりしていたが、日本体育会発祥之地の石碑の向かって左隣に成城高校があった。
この成城高校と日本体育会は深い関係があり、共に創設者が先ほど記述した日高藤吉郎翁氏である。
1885年(明治18年)、成城高校の前身「文武講習館」が、陸軍士官学校への予備校として築地に創設された。翌年「成城学校」と改称し、1891年(明治24年)に牛込原町に移転した。
1891年(明治24年)、成城学校の創設者である日高藤吉郎氏は、国民が強健な体力を保持しなければならないという信念のもとに、私財を投じて「体育会」を組織し、翌年には「日本体育会」と改称した。
日本体育会は、成城学校と創設者が同一ではあるが、その後は別々の道を歩んでいる。
参考までに、世田谷区成城にある「成城学園」は、ここ成城学校に設置された成城小学校・成城第二中学校が、1929年(昭和4年)に移転して開設されたもので、その後は成城大学を設立して学校法人「成城学園」として分離独立し、「成城中学校・高等学校」とは別法人となっている。
よくよく考えてみると、成城高校といえば、第1回夏の地方予選に参加した学校であったことを思い出した。
関東地区において、第1回夏の予選に参加したのは東京のみ(※春の東京大会を夏の予選と位置付けた。また、他の県は日程の調整がつかず不参加)で、参加校は早稲田実、荏原中、日本中、早稲田中、慶応普通部、立教中、麻布中、成城中の8校であった。
早稲田実、荏原中、日本中、早稲田中、慶応普通部、立教中、麻布中に関しては、既に他の方々が記述されています。
ここで、アタシが成城中を記述する事で、関東地区の第1回夏の予選参加校は完結となります。
成城高校は、1885年(明治18年)に文武講習館として創設された歴史を誇り、甲子園は未出場ですが、夏の東京大会の通算成績は86勝109敗、最高成績は1930年(昭和5年)のベスト4進出です。
参考までに、この8校の夏の東京予選の通算成績は以下の通りです。
早稲田実 378勝 67敗 優勝24回
日体荏原 164勝 77敗 優勝 1回
早稲田 121勝117敗
麻布 96勝116敗
日本学園 86勝 67敗
成城 86勝109敗
慶応 81勝 34敗 優勝10回(神奈川に移転)
立教 52勝 38敗 (埼玉に移転)
以上です。
- favorite52 chat4 visibility730
-
navigate_before 前の記事
☆高校サッカー&春高バレー&甲子園出場校放浪記~市立船橋~
2011年12月5日 -
次の記事 navigate_next
☆藩校が前身の伝統を有する甲子園出場校~明善球児の100年~
2011年12月9日
- 事務局に通報しました。
chat コメント 件