☆創部120年を超える高校野球部 夏の予選観戦記 ~太田一高~

夏の高校野球茨城大会2回戦の組み合わせで、霞ヶ浦と太田一の対戦を見た瞬間、ある記憶が蘇った。

 

1989年、元号が平成に変わった秋季関東地区高校野球茨城県大会の決勝は、霞ヶ浦と太田一の対戦となり、霞ヶ浦が茨城1位、太田一が茨城2位で関東大会に出場した。
霞ヶ浦は1回戦で千葉2位の印旛に 4 - 3、準々決勝で神奈川2位の日大藤沢に 4 - 2、準決勝で埼玉1位の伊奈学園総合に 3 - 2、決勝では山梨1位の東海大甲府に 5 - 2 で勝利し、初優勝を成し遂げた。
一方の太田一は、1回戦で千葉1位の銚子商に 6 - 3 で勝利していた。ところが、準々決勝の春日部共栄(埼玉3位)戦は体調不良者が多数発生したため試合を棄権した。「不運の太田一」。

 

 

 

その「不運の太田一」の試合が観たくなり、J:COMスタジアム土浦に向け、愛車のレクサスCT200hを走らせた。

常磐道桜土浦インターを出て、「ROUTE354」を土浦方面に向け暫く走ると土浦竜ヶ崎線だ。杉山清貴&オメガトライブの名曲は「ROUTE134」だ。土浦竜ヶ崎線を左折し、そのまま進めばJ:COMスタジアム土浦だ。
桜川が見えて来た。桜川を渡ると風の匂いが変わる。高鳴るハートでアクセスを踏み込んだ。

マリーナが見えて来た。そう、ここは土浦港。土浦港といっても、海ではなく、日本第二の湖として有名な霞ヶ浦にある港だ。港の中には湖や河川内に所在するものがあり、前者には青森県の子ノ口港、休屋港(十和田湖沿岸)、福島県の翁島港、湖南港(猪苗代湖沿岸)、茨城県の土浦港(霞ケ浦沿岸)、滋賀県の大津港、長浜港、彦根港、竹生島港(琵琶湖沿岸)が、後者には茨城県の潮来港、軽野港(利根川沿岸)や京都府の伏見港(宇治川沿岸)がある。土浦港を右折すれば直ぐそこがJ:COMスタジアム土浦だ。
球場の駐車場に止めようとしたが、「空いてへんのか・・・。」ということで、土浦駅近くの駐車場に止めることにした。

土浦駅近くの駐車場からJ:COMスタジアム土浦までは徒歩10分弱で到着。目指すは三塁側だ。

 

 

 

茨城県立太田第一高等学校は茨城県常陸太田市に所在し、1900年(明治33年)に茨城県立水戸中学校太田分校として設立された伝統を有する。
野球部も同年に創部され、茨城県内では水戸一、土浦一に次いで、水海道一、水戸農と並ぶ伝統を有するが、春夏通じて甲子園出場はない。
夏の全国大会予選には、茨城県内では竜ヶ崎一、土浦一、水戸商、下妻一に次いで、茨城とともに1920年(大正9年)第6回大会予選(関東大会)に初参加した。結果は、前橋中(前橋)に、2 - 11 で敗退となった。
夏の全国大会予選初勝利は、翌年の第7回大会予選(関東大会)で、熊谷中(熊谷)に 6 - 5 で勝利した。続く試合も土浦中(土浦一)に 11 - 9 で勝利し準決勝へ進出した。準決勝では、茨城商(水戸商)に 0 - 10 で敗退となった。
夏の予選通算成績は109勝98敗1分である。
春の選抜大会出場をかけた秋季関東大会には2度出場し、最高成績はベスト8、通算成績は1勝2敗である。

 

 

 

試合の方は、甲子園出場春1回、夏2回を誇り、昨夏の茨城大会準優勝校で、140キロ台の速球投手を3人擁している霞ケ浦を相手に、一時は 2 - 2 の同点に追いついたが、2 - 3 で惜敗、梅雨明け前に太田一の短い夏が終わった。

とはいえ、昨日観戦した成東と同様にスタンドには大勢の太田一ファンが詰めかけ、選手の一挙手一投足に大きな声援と拍手を送り続けていた。

太田一は令和になっても多くのファンに愛されるチームであった。


野球部創部124年、伝統ある太田一高の活躍に期待したい。

 

 

 

 

以上です。

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