450冊記念・皆勤校放浪記〜和歌山・桐蔭高校(後)
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仲本
2010年09月13日 22:39 visibility415
正門から学校の周りを一めぐりしてみる。校舎の壁に「Toin」の文字がある。
第二次大戦後、占領政策として「教育の民主化」が進められた。伝統校は旧体制の温床であり、影響力を保ち続けることはよろしくないと判断された。そこで学区の再編が行われ、生徒たちは学区別に新たな学校に割り振られた。校名も従来通り特権的に地名を使うことはまかりならぬ、抽象的なものとせよ、とされた。和歌山にある桐蔭、向陽、星林の公立らしからぬ校名はその名残りだという。
現在の野球部のユニフォームも、当然ながら胸のマークは「Toin」だ。字体は校舎に掲げられたものと同じ。名門・和歌山中学がつけていたのは横広がりの「W」だが、これは袖のマークとして残っている。
学校の東側は小山になっていて、塀際には草の繁った中に小道ができている。塀越しにかろうじてグラウンドがのぞける。往年はこのあたりから練習を見物する人がいたのかもしれない。小道を抜けて北側に回ると通用門があり、そこからはグラウンドがよく見えた。残暑厳しく、空には夏のような雲がもくもくとしている。体育祭が近いとあってかテントが張られ、部活の人影は見えなかった。野球のバックネットは通用門と対角の位置にある。コンクリートのスタンドが見える。
前々回、日記のコメントで教えていただいたことだが、これは大正11年、当時の皇太子殿下(後の昭和天皇)が和歌山中学に行啓されることとなり、それに備えて作ったものだという。行啓の際に野球部のOB−現役戦が4イニングほど行われた。野球における史上初の「台覧試合」(そんな言葉あるんだ)だった。夏の大会連覇に続く壮挙に、全国の中学野球部などから祝電が舞い込んだという話だ。
スタンドには標語が掲げられていた。野球部のものだろうか、それとも各クラブに共通するものか。「努力なくして栄光はなし」。手前勝手だが、なんだかここまでいろいろ学校を訪ね歩いたごほうびを最後にもらったような気がする。
桐蔭高校に名前が変わってからも、夏の大会で二度準優勝しているが、今のところ1986年の夏が最後の甲子園出場となっている。89年には夏の和歌山大会決勝まで進んだが、当時まだ新進売り出し中(!)だった智弁和歌山に延長サヨナラで惜敗。今年の夏も準決勝まで勝ち上がったが、選抜に出場した向陽高校に2−6で敗れて復活はならなかった。再びWのマークが栄光をつかむ日が来るのか。静かに待ちたいと思う。
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