☆第100回大会の優勝校から逆さにたどる旅~下妻一高~
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鶴丸 深志’
2018年10月12日 18:15 visibility2907
記念すべき第100回大会の優勝校から敗れた高校を逆さにたどると、以下のようになる。
【全国高等学校野球選手権大会】
大阪桐蔭 →金足農 →日大三 →下関国際 →木更津総合 →興南 →土浦日大
【茨城予選】
土浦日大 →常総学院 →水戸商 →藤代 →下妻一 →水城 →水戸一 →友部
戦国時代、下妻の地は多賀谷氏が治めていた。
江戸時代に入ると、1606年(慶長11年)に徳川頼房が10万石で入封し下妻藩を立藩、1615年(元和元年)からは松平忠昌、その翌年からは松平定綱が入封、1619年(元和5年)に松平定綱が遠江掛川城に転封され幕府領となる。
その後、1712年(正徳2年)に美濃郡上八幡城主・井上正任の三男・正長が1万石で入封、改めて下妻藩を立藩した。そして翌年、多賀谷氏の下妻城の西方に陣屋を築いた。これが下妻陣屋である。
下妻陣屋があった南端に位置するのが下妻一高で、高校敷地の東北角地に、当時、御陣屋稲荷と呼ばれていた城山稲荷が残り、その境内に土塁の一部が現存している。
下妻一高は1897年(明治30年)に茨城県尋常中学校(現水戸一)下妻分校として設立された歴史を有し、県西地区有数の進学校である。
野球部は1902年(明治35年)に創部され、県内では水戸一、土浦一、太田一、水海道一、水戸農に次いで、竜ヶ崎一と並ぶ伝統を有する。しかしながら、春夏通じて甲子園出場はない。
1947年(昭和22年)から水海道一高との間で行われている定期戦は「常総野の早慶戦」と称されている。
夏の予選には、県内では竜ヶ崎中(竜ヶ崎一)、土浦中(土浦一)、茨城商(水戸商)に次いで、1918年(大正7年)第4回大会予選(関東大会)に初参加した。結果は、真岡中(真岡)に 7 - 5 で勝利し、予選初参加で初勝利を挙げた。続く準決勝は、竜ヶ崎中に 1 - 7 で敗退となった。
夏の予選通算成績は124勝94敗、最高成績は2度の準優勝である。
伝統ある下妻一高の悲願達成はいつになるのだろうか?
それにしても、茨城の高校は「一」や「二」の数字がつく高校が多い。全日制の県立高校92校のうち、数字がつくのは28校もある。
以上です。
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☆第100回大会の優勝校から逆さにたどる旅~水戸一高~
2018年10月8日 -
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☆第100回大会の優勝校から逆さにたどる旅~常総学院~
2018年10月14日
- 事務局に通報しました。
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