消えた球場(35) 佐賀球場

  • Mr.black
    2015年04月01日 09:53 visibility5960

いつもならば球場レポートを先に書くのですが、今回は順番を変えて「消えた球場」から。

(都合で球場レポートは後日落ち着いてから書きます。)


現在、佐賀市内には県営球場(みどりの森球場)と市立球場(ブルースタジアム)の2球場が存在します。どちらも整備されたのは1999年とのこと。



↑ 県営球場。愛称は「みどりの森球場」。



↑ 市立球場。愛称は「ブルースタジアム」。

外観では分かりませんが、内部がブルーで統一してあるのでこの愛称なのです。



この2球場の誕生をきっかけとして消えた球場がありました。それが「佐賀球場」。

1959年、国鉄佐賀駅の南西約3kmの場所に建てられました。

主に高校野球などアマチュア用に利用されていましたが、ごく僅かに西鉄ライオンズ二軍の試合も開催されたことがあったそうです。


しかし両翼が93m、センターが113mしかなく、グランドの規格が今日の基準に満たなくなってきたこと、そして老朽化が激しく安全上の問題が出てきたことで閉鎖が検討されました。

そこに既述の2球場が出来たので「もはや役目は終えた」と判断され、閉鎖解体されました。

ただ、利用者からの反対の声も大きく、2004年まではなんとか存続出来たようです。


解体された後、しばらくは更地になっていたようですが、やがて佐賀女子短大を運営する旭学園が取得。同短大の付属高校をこちらへ移転させました。(短大がすぐ近くにあったからです。)




現在は「佐賀女子高校」の敷地になっています。

この反対側は敷地が大きくカーブを描いており、それがかつてこの地が野球場だったことを示しているのですが、何しろ女子校なのであまりうろつくわけにもいきません。(不審過ぎる。汗)

なのでこちら側から少し眺める程度に留めました。



上の写真のカーブは昔の航空写真と照らし合わせるとバックネット裏側だったようです。

ここにもかつて野球場だった名残があります。

これまで知るすべもなかった遠く離れたアマ球場の跡地。

今回佐賀遠征を計画した時、偶然発見した土地の歴史でした。


かつてこの地で青春時代を送った球児がたくさん居たことでしょう。

その息吹に思いを巡らせながら現在の球児達が戦うブルースタジアムとみどりの森球場へ向かいました。



ブルースタジアムでの一コマ。写真は「鶴城(かくじょう)」・唐津東高校。


あとどれだけこういうことが出来るのか分かりません。

以前書きましたが、過去訪問した野球場及び跡地写真の寄贈先探しは目途が付きました。

(本日はエイプリルフールですが、これは本当です。笑)

現在は寄贈に向けた写真の整理、写真説明文の記述に取り掛かっています。

その為しばらく更新が鈍るかもしれません。

私の長かった旅路も一応の終着点が見えてきました。

また時々は更新するつもりですが、少しお休みを。

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