オリックス2軍の新天地
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Mr.black
2016年04月19日 13:07 visibility1047
本題に入る前にまず今回の熊本・大分の大地震で被災された方々にお見舞い申し上げます。
東日本の震災時と同じですが、私個人が出来ることは微々たるものです。でも出来る範囲内で何らかの行動を少しずつ継続していくつもりでおります。
さて、震災によって書くタイミングを失していたのですが、先週の続きです。(これが最終回)
先週、大学野球阪神リーグを観戦した場所は大阪の埋め立て島にある「舞洲(まいしま)ベースボールスタジアム」でした。
このスタジアムはかつて大阪に五輪招致を目指していた際に建設されたものです。
招致が成功していれば五輪の野球競技がここで行われるはずでしたが、結果は落選。その為、以降の島内諸設備の開発は中途半端に終わり、交通網も整備されずでした。
なのでここに行こうとすればマイカー以外の公共交通手段では本土側からのバスしかありません。(JR桜島駅、あるいは西九条駅からのバス。)
しかしながら高校野球大阪大会の終盤や近畿大会などで大勢の観客が駆けつけた場合はバスを少々増便しても積み残しが発生し、長い列で延々と次便を待たないといけない状況です。
その反面普段の平日は閑散としており、施設の稼働率が非常に悪いです。そういうこともあって「大阪府の遺産」ではなく、「大阪『負』の遺産」とも揶揄されていました。
そこに今回大きな話題を撒いたのがオリックス2軍の本拠地移転話です。
これは現存する舞洲スタジアムを2軍のホームゲーム開催地とし、その北西にある空地にサブ球場・室内練習場・選手寮を新しく建設。神戸から大阪に2軍を移転させるという計画です。今年度中に諸設備を建設し、来年度から2軍が使用するということ。そこで現在どんな様子なのかを見分する意図もあって舞洲を訪れた次第です。
既に工事は行われていました。これはトラックや重機の出入り口。周辺はこのように白い壁で覆われていたので中を見ることは出来ません。
でも舞洲スタジアムの1塁側スタンドの最上部からは眺望出来ました。
現在はまだ基礎工事の段階でした。
やがて建物が建ち始めたらこの辺りの景観はかなり変わっていくことでしょう。
ところでこの地にオリックス2軍が移転する計画は水面下ではかなり以前からあったのかもしれません。数年前、やはりここに大学野球を観戦に来た時のことですが、球場の掲示板にオリックス2軍の公式戦予告ポスターが張られていました。
その時は「へぇ~、オリックスの2軍は舞洲でも試合するんだ」、程度にしか考えませんでしたが、もしかしたらこの頃から既に移転先を模索していたのかもしれません。
(2~3年くらい前のことだったと思います。)
今回の移転で思うのは神戸と球団の関係。1軍2軍共に大阪に本拠地を移転するということはこれによって事実上疎遠になるでしょうね。
もちろん今後も神戸で1軍や2軍の試合は年に数度ずつ行われるでしょうし、試合以外でも何らかの交流は残すと思われますが・・・・・。
あの阪神大震災が遥か遠くになってしまったような気持ちです。
一方、舞洲自体は最近各プロスポーツ誘致によって段階的に活性化を図ってきました。
サッカーのセレッソ、バスケのエヴェッサ、そして今回のオリックス2軍。これらによって「負の遺産」と揶揄されていたのがどういう状況に変わっていくのか?は正直興味深いところです。
このように年月によって情勢は刻々と変化していき、それは止められないのですね。
これは現在オリックスの施設が建設されている場所のすぐ横にある石碑。
「市岡の森」と聞いてピンと来る人もいらっしゃるでしょう。大阪の公立伝統校、「市岡高校」の卒業生たちが桜などを植樹している場所です。
今までは限られた人達しか知らなかったでしょうが、認知度が上がるかも。
(なお、下の写真は市岡の森の桜ではありませんので。)
現在避難されている方々がいつか桜を笑って眺められる日が来ればいいですね。
そう願うばかりです。
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