奈良・郡山高校
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Mr.black
2009年11月24日 14:01 visibility3416
昨日、郡山市民球場をレポートしましたが、その前に二箇所回った場所がありました。
一つは郡山高校、もう一つが大和郡山城(以下、郡山城)でした。今回はこのうちの郡山高校の方を書こうと思います。
高校野球ファンに「奈良県の学校で甲子園に出場したことのある校名を三つあげなさい」と設問を出したら多くの方が「天理・智弁・郡山」と答えることでしょう。それほどこの3校は有名ですね。通称「奈良の御三家」とも言われています。
この内、天理と智弁は私学ですが、郡山は県立校、しかも県内屈指の進学校でもあります。それが私学の厚い壁を破って春夏何度も甲子園に出場しているという文字通り「文武両道の学校」なわけですね。
この郡山高校は近鉄郡山駅の北西、徒歩7〜8分くらいの場所にあります。道を挟んで真向かいには郡山城があります。一応、お城と学校は分かれていますが、地形を見る限りおそらくはこの学校の敷地は元々は城の一部であったと思われます。
こういった学校は全国各地で時々あるようです。明治初頭に「廃城令」が出されて日本各地でお城が解体されていきました。この後の空いた土地の有効利用として学校や役所などが建設されたというのは結構多いようです。
私が実際に見たものとしては金沢城の内部に金沢大学があったことや、福井城の中に市役所が立っていたことなどです。
ところで実は郡山高校は現在二箇所あります。郡山城の南側に「冠山(かんざん)学舎」、そして城の北西側に「城内学舎」があります。これはどうしてかというと北西側は以前は「城内高校」という別な学校だったのです。それが昨今の少子化の影響で郡山高校と統合されたのです。そして城内高校側を城内学舎、元々の郡山高校側を冠山学舎、と呼んでいるのですね。
さらに突っ込んで書くと、この「冠山」という名称は隣接する郡山城の別称が「冠山城」ということに由来しています。郡山高校の校歌の歌詞の中にも「冠山城」という言葉が出てきます。
お城との密接な関係がある郡山高校。歴史の古さも感じさせます。これからも天理や智弁などの私学の強豪と渡り合って甲子園に出てきて欲しい学校ですね。
一枚目は郡山高校(冠山学舎)の正面。
こちらは城内学舎(旧:城内高校)側の校門。
ところでこの城内高校、元々は郡山高校の農業科が分離独立して出来た学校だったそうです。なので今回の統合は「元の鞘に収まった」ともいえるでしょう。
校舎には「城内高校」時代の校章を外した跡形が残っていました。
これは郡山高校の校章。
日記の中では他地域の方々にわかりやすいように「郡山高校」と統一表記しましたが、地元では「郡高(ぐんこう)」と呼んでいます。
もしかしたら学校への道を尋ねる時には「こおりやま高校」と言っても通じなくて「ぐんこう」と言ってはじめて通じるかもしれません。自分は試しませんでしたが。(笑)
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