我的愛球史 第30話 「魂のヘッドスライディング」


(写真と記事は関係ありません)

 昨日は悔しかったなぁ。

 球児、そして阪神ナインのみなさん、ほんまにお疲れさん。

 今年も熱い戦いありがとうな。

 今は傷を癒して、来年、一緒に雪辱しましょ!!

 さて、私は遅い夏休みを採っているのでしばらくは毎日でも日記を更新できます。

 タイガースの1992年のシーズンは僕にとって宝物なので、この機会に書いてしまいたいと思います。

 前の日記で新庄剛志選手の鮮烈なデビューについて書きましたが、野手でもう一人、一気にスターの座に駆け上がった選手がいました。

 開幕2戦目の4月5日、神宮でのヤクルト戦。

 ベテラン真弓選手のヒットで本塁に突入した二塁走者は、名手古田選手の「技あり」のタッチで憤死。

 その判定に鬼の形相で抗議するアウトになった若虎の姿にナインは発奮。

 この試合6-3でものにしました。

 この試合からタイガースの快進撃が始まった、と語る人も多くいます。

 その若者のユニフォーム姿はちょっと異彩を放っていました。

 膝まで高く上げたストッキング。

 縁なしの眼鏡。

 ファッション的にはどう見ても洗練されているとは言いがたいのですが、その体からは燃えるような闘志が立ち上っていました。

 続く4月8日には巨人戦でそのシーズンの初スタメンを得ます。

 すると誰にも増して燃え上がるその若虎は一塁にヘッドスライディング敢行。

 それ以降、ヘッドスライディングは彼の代名詞になりました。

 亀山努。

 タイガースの熱い1年はこの若虎の奮闘が象徴していたと思います。

 亀山選手の活躍で僕が一番印象に残っているのが5月6日の巨人戦(甲子園)。

 2-2の同点で迎えた9回2死1塁の場面。

 桑田真澄選手からサヨナラ打。

 ヘルメットを夜空に放り投げて激しく喜びを爆発させる亀山選手の姿に鳥肌が立ちました。

 その後、監督やチームメイトからの信頼が日に日に厚くなり、5月21日には2番打者から初の3番打者へ昇格。

 8月後半には1番打者も務めました。

 しかし、亀山選手にはやり2番ライトが似合っていた。

 僕の周りでも野球以外の運動部員までもがストッキングを高く上げて練習している姿を良く見かけました。

 そういう時は「ああ、こいつも阪神ファンだったんだ・・・」と、嬉しくなりました。

 前の年までは堂々と「俺は阪神ファン」と言うことが、阪神のあまりの不甲斐なさから憚られることも多かったので本当にああいう光景は嬉しかった。

 こういう時が来るのを待っていたんだ!本当に1992年に味わったあの気分は忘れられません。

 亀山選手の人気は沸騰し続け、オールスターのファン投票でも最高得票。

 肝心のオールスターではそんなに活躍できませんでしたが、ちょっと前までは真弓選手が申し訳程度に出場していたオールスターに阪神の選手がこんな形で出場するのは誇らしかった。

 もちろん、亀山選手以外の選手も大挙してオールスターに出場。

 最高の気分だったなぁ。

 亀山努。この年・278、4本塁打、28打点、131試合出場。

 その名前の通り、愚直に山のような努力を積んだ亀のような男がたった1年ではありましたが最高に光り輝いたシーズンを僕は忘れることがないのです。











































































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