我的愛球史 第29話 「スター誕生」


 (写真と記事は関係ありません)

 昨日は友人の結婚式で大阪へ行きました。

 CSシリーズ初戦の経過も結果も全然知らなかったのですが、帰りに大阪駅に立った時、タイガースのレプリカユニフォームを着た人が・・・表情で勝敗が分かりました。

 残念。

 この1年、タイガースは本当に苦しんだと思います。

 このままじゃ苦しかっただけの1年になってしまう。

 でも第2戦、そして最終戦と勝てば最高の形で「短期決戦に弱い」というラベリングを剥がすことができます。

 まだまだこれからだ!


 さて・・・、阪神ファンの僕がプロ野球を見てきた中で最高と思えるシーズンは、野球を見始めるきっかけになった1985年でも、18年ぶりの優勝を飾った2003年でも、2005年でもありません。

 1992年の2位のシーズンです。

 あれほどドラマチックなシーズンはなかった。

 前年91年は初夏から奮闘した葛西稔選手に続き、終盤に中込伸選手が大器の片鱗を見せるようなピッチングを見せたことで、僕らは「92年のタイガースは先発投手の顔ぶれは揃った」と胸に密かな期待を抱いていました。

 果たしてシーズンが開幕すると、初戦は葛西選手で落としたものの、開幕から投手陣の踏ん張りで安定した戦いぶり。

 先発に仲田幸司、猪俣隆、中込伸、葛西稔、湯舟敏郎・・・そのシーズン出遅れた野田浩司選手も復帰。

 クローザーの田村勤選手が試合を締めて「六甲おろし」の大合唱。

 そんな場面が多く見られるようになりました。

 打線も、はっきり言って「貧打」なのですが、スタメンに定着した亀山努選手が無心で敢行した一塁へのヘッドスライディングが起爆剤になり、去年までは簡単に牛耳られていた他チームの好投手にも臆することなく食らいついていきます。

 例年は辛いマスコミの論調も「今年のタイガースはちょっと違う」「堅実に勝ち星を重ねている」と言う具合に変ってきました。

 それでも、88年も同じようにまずまずのスタートを切りながら5月以降はさっぱりだったように、いつ歯車が狂うか、狂うか・・・という不安はいつも胸にありました。

 それが現実のものになるか・・・と思わされる出来事が、やはり5月におこりました。

 開幕から、ホームランは少ないながらもシュアなバッテイングで打線を支えていたオマリー三塁手がけがで欠場。

 オマリー選手に匹敵する内野手はもうチーム内には不在。

 打線の弱体化は避けられない・・・誰もがそう感じていた時に彼は現れました。

 5月26日、甲子園での大洋戦。

 今シーズン初スタメンを代役三塁手として掴んだ背番号63の若虎は、軟投派有働克也選手のボール球を強振。

 いきなりのホームランを左翼席へぶち込みました。

 これが後に205本を数えた彼のプロ初ホームラン。

 この試合、2-1でものにしたタイガースはその後も勢いを保ったままシーズン大詰めまで優勝を目指して突き進むことになるのです。

 その立役者の一人が、後に球界のスーパースターとなる新庄剛志選手だったのです・・・。

 
 

 

 































































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