我的愛球史 第18話 大型扇風機と呼ばせない

 いよいよ舞台は平成時代に移り第18話!

 18と言えばプロ野球のエースナンバーなので、平成初期に輝いた18番桑田真澄さん、あるいは我が阪神の忘れられない18番野田浩司さん!・・・色々考えたのですが、背番号にまつわるシリーズはいつか書かせて頂くとして、「愛球史」の歩を進めたいと思います。

 平成に入って最初のプロ野球シーズンが明けようとしていました。

 阪神タイガースは、キャンプ地安芸で新生オリックス・ブレーブスとのオープン戦に臨みました。

 僕は通っていた中学が入試で校舎を使うため休みだったので、昼間からテレビ観戦することができました。

 まだまだ見慣れないブルーのユニフォームをまとった「ブレーブス」と、最下位からの逆襲にかけるタイガース。

 タイガース一番の注目選手は、新外国人セシル・フィルダー選手でした。

 ひときわ大きな身体。

 豪快なバッティングフォーム。

 バットの風切り音がテレビを通してここまで聴こえそうに思いました・・・。

 4打席連続三振・・・・・・だったかどうか、正確なことは忘れましたが、オリックスの投手陣にいいように料理されていました。

 特に清原雄一投手には全然タイミングが合っていなかった。

 日本の変化球に対応できない・・・新聞はそう書き立てました。

 「大型扇風機」・・・。

 しかし、その後、まるで漫画のようなことが起こりました。

 オリックスとのオープン戦が終わるとフィルダー選手は突然打ち出したのです。まだオープン戦でしたが。

 新聞には、フィルダー選手の状態を見たオリックスのブーマー選手がアドバイスをし、自分のバットまで贈ったという話が載りました・・・

 ・・・いや、確か、そいういう話が載ったと思うのです。今日、裏付けを取ろうと思って色々調べたのですが、そのような話は僕が調べた限り見つけられなかった。でも、僕の中では21年間、フィルダー選手が打撃開眼したのはブーマー選手のお陰ということになっていました。

 でも、確かなのは当時の阪神のコーチだった石井晶さん、柏原純一さん、村山実監督らの指導をフィルダー選手がよく消化し、自分のものにしたことですね。

 シーズンに入ってもフィルダー選手は打撃好調を維持し、打率.302、本塁打38、打点81をマーク。9月14日に自ら投げたバットで小指の骨を折らなかったらバース選手以来のホームラン王も夢ではなかった。

 この時フィルダー選手がホームラン王を取らなかったから阪神は今だ1986年の三冠王バース選手以降ホームラン王を輩出していない(なぜか不思議なことに1986年の三冠王落合博満選手以降、ロッテもホームラン王なし!)。

 阪神希望の星フィルダー選手が、90年のシーズンに向けて応援歌まで作られたのに契約を更新せずメジャーリーグに復帰し、その後2年連続アメリカンリーグのホームラン王になったことは書くまでもないでしょう。

 フィルダー選手が90年の日米野球で日本に見事凱旋し、甲子園で見事ホームランをかっ飛ばしてくれたことは本当に嬉しかった。

 こんな外国人選手、今後現れるでしょうか。忘れられません。

 

 

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