我的愛球史 第14話 ヒーローから授業を受ける!


 (写真と記事は関係ありません)

 1988年、中学に入って生活に変化が起きました。

 電車通学です。

 毎朝、駅や電車の中で、通勤のおじさま方が読まれるスポーツ新聞を横から覗けるようになったのです!

 これが面白かった。

 こんな面白いものが世の中にあるのか!と思うぐらい面白かったです。

 だから、1998年夏までの見出しで今だ覚えているものがあるんです。

 「近鉄首位だ 仰木マジック」 この時、近鉄の監督が仰木彬さんだと知りました。

 「落合限界説」 これはショックだった。落合さんが主要タイトルを取れなかった年ですね。

 「PLに秘密兵器 1年生エース」 これって後の入来佑作選手?

 また、僕のいたクラスには野球好きの友達が多くて野球談義をするのが楽しかった。僕らの間ではヤクルトの池山隆寛選手が人気がありました。

 僕はまだ喘息が治らなかったので、野球部に入ることは全く考えられなかったですが、僕が入学したのは中高一貫校だったので、高校生の野球部員の方を見ると身が引き締まる思いがしました。

 尊敬のまなざしで見ていました。

 夏が来て、甲子園の予選があって、僕らの高校(僕は中学生ですが、そういう感覚でした)はベスト16まで勝ちあがりました。

 ここで対戦したのが、前年の優勝校。しかも甲子園でもベスト8まで進出した強豪です。

 なんと、我が高校は中盤までにリードを奪う展開。

 テレビ観戦していた(なぜ球場まで見に行かなかったのだろう・・・)僕は大喜び。

 相手校のピッチャーはプレッシャーから、表情が引きつっておられたのを覚えています。ヒットを打っても塁上で感情を抑えきれず何かを叫んだり・・・熱い方だったんでしょうね。

 それに比べ、我が校のエースの方はピンチでもマウンドに集まった仲間に白い歯を見せて微笑むなど、落ち着いた印象でした。

 しかし、終盤に追いつかれ延長戦に。

 そして、最後、力尽きて我が校は敗退・・・。

 僕は悔しかった。

 しかし、それから4年後、僕はその試合に投げておられた我が校のエースだった方に教育実習で授業をしていただくという貴重な経験をしたのでした。

 まさに自分の中のあの夏のヒーローに授業をしてもらうという夢のような体験。

 我がヒーローは一生懸命ながらも初めてする授業に緊張されていたのか、授業よりもマウンドでの姿の方が何倍も颯爽としていたことは否めなく、僕は少し複雑な思いをしました。でも、嬉しかった。

 今、全国で甲子園大会に向けての熱戦が繰り広げられています。

 戦う球児のみなさんは、みんな誰かのヒーローだと思います。例えベンチ入りできなかった方であっても、必ず誰かに熱く応援されています。

 どうかその誇りを胸に、チームのためそれぞれの果たすべきことを精一杯なしていただきたいと思います。

 

 

























































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