僕の甲子園物語 第14話
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こじっく
2010年05月25日 12:56 visibility106
こうして2年連続2回目のセンバツ出場を決めたK高校。
もちろんS君も載ったセンバツの特集雑誌が何種類も店頭に並ぶ。
センバツは国民の関心行事・・ということを改めて認識する風景だ。
S君は秋の大会はチームで一番長いイニングを投げてセンバツ出場に貢献したんだな・・・というようなことも雑誌のデータを見て分かった。
また、地元の新聞はセンバツ出場が決まった時から、内容や紙面を割く量にこそ差があれど毎日のようにK高校の記事を書いてくれる。
S君は愛想がいいのか、よく記事に登場するのだ。
S君が腹筋する写真や、バッテリー4人組でミーティングする写真が掲載されたりして、僕はそのたびにどんな小さな記事でも切り抜いた。
野球部が地元への奉仕活動でゴミ拾い・・・というようなちょっとしたニュースにも登場した。
「ゴミ拾いをサボると野球にかえってくる気がして・・・」
とS君はコメントしていた。なるほど・・・その通りだね、S君。その心がけがきっと実を結ぶ時が来るのです。
しかし、何より嬉しかったのは、雑誌の選手名鑑で「尊敬するプロ野球選手」にS君が「工藤公康」選手を挙げてくれたことだった。
これは、僕が去年のセンバツ後にプレゼントした工藤選手の本からではないか?と思った。
本当のことはまだ確かめていないが。
ともあれ、僕はセンバツまでの期間、ウキウキする時間を過ごした。
また、僕もS君に負けないように頑張っていることがあった。
草野球のチームを職場で立ち上げたのだ。
元々、元高校球児もいた職場で、野球好きは多かった。
だけど、結束してチームを作ろうという機会はそれまでなかった。
もう、仕事をやめよう!と半ば決心していた頃の僕ではなかった。
ユニフォームの手配から対戦相手募集、グランドの手配まで初試合では全部させてもらった。
2回目からは僕の熱意をかってくださった上司が対戦相手を次々に取り次いでくださり、30歳を過ぎて僕も「野球を始めた」といえるような状況になった。
はっきり言って、僕はチームの中で一番下手だったが幸せだった。
試合のためならどんな雑用もやった。
試合に出られなくても、野球に関わることが楽しかった。
そして、K高校のセンバツでの緒戦の相手も決まり、いよいよ開幕まで秒読み・・・という日のことだった。
その日も、僕は草野球の試合を終え、コンビニで一息ついているときだった。
携帯がなった。
S君のお母様からだった。
もちろん、甲子園での試合の応援のお誘いだった。
僕は残念ながら、その日は仕事だった。もちろん、試合日程が決まった時からそれは内心分かっていて、自分でも納得していたことだった。
「すみません、仕事で行けないんですよ。S君のご活躍とチームの勝利を陰ながらお祈りさせてもらいます」
残念だ。でも、S君にはS君の果たすべきことがある。僕には僕の果たすべきことがある。
それでいいんだ。
同時に、僕は深い感慨を持った。
S君が甲子園に出ていなければ、いや、S君と出会っていなければ、草野球を30歳で始めるなんて勇気、自分に湧き上がっただろうか?
僕は運命の不思議さと、自分の心が時を経て変っていく実感、そして出会いへの感謝で一杯になった。
さて、K高校の甲子園での戦いの火蓋が切られることになった。
相手は大垣日大!名将の誉れ高い阪本監督率いる好チームだ!
K高校の運命はいかに?S君の登板は??
(写真と記事は関係ありません)
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