僕の甲子園物語 第19話
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こじっく
2010年06月03日 11:56 visibility133
こうして、S君とK高校3年生の高校野球は終わった。
近江高校との決勝戦の後、しばらくして先発したT山君らは火事の消火作業に協力して地元の新聞に載った。
その勇気は大いに讃えられた。
近江高校の小熊投手は甲子園では堂々としたピッチングを見せた。
僕には皇子山球場で見たときとは別の投手に見えた。
こうして夏が過ぎていった。
秋の県大会、K高校は準々決勝で近江高校を4−3で破った。
K高校が近江に公式戦で勝つのは初めてのことだった。
その勢いのまま県大会優勝。
近畿大会でも西城陽高校を倒して1勝を挙げた。
K合君とI川君という投打の柱がしっかりし、他にも強肩捕手のK田君などの実力ある選手の揃ったK高校は3年連続のセンバツに選ばれた。
そしてわが「教え子」S君は、雑誌ベースボールクリニックの「高校生のためのピッチングクリニック」というムックに1頁載った。
元阪神の湯舟俊郎さんがS君の投球を解説して下さっていた。
僕は単純に「すごい」と思い、S君にメールした。すると
「あそこに載っているのは僕の悪いところばかりです。僕はピッチャーとしてまだまだということですよ」
とS君から返信がきた。
きっとS君は湯舟さんから指摘された欠点を克服し、さらに良いピッチャーになると思った。
また春がやってきた。
K高校はセンバツで旋風を起こした。
大会初日の第2試合で東北高校に3−2で逆転勝利。
K合投手9奪三振。
続く2回戦では大会屈指の注目選手土屋投手(現北海道日本ハムファイターズ)を擁する横浜高校との対戦だった。
K合君は試合開始直後の初球に滅多に投げないナックルボールを投じた。
これだけで調子が狂ったわけではないだろうが、横浜打線はK合君のピッチングの前にその破壊力を封じ込まれる。
そして、I川君のセンバツ通算600号ホームランが飛び出すなどK高校打線は6点をもぎ取り、終わってみれば6−2。
K高校は「優勝候補」と目された2校を連破した。
「魂のこもったゲームを展開している」
普段は厳しいコメントの載るK高校M監督も選手をそう讃えた。
そして、ベスト8をかけた長野日大戦当日の新聞。
「北大津快進撃 OB支え」
という見出しが目に入った。
そして、そのOBとは・・・S君のことだった。
S君は監督の依頼に応えて、「強敵に立ち向かう後輩のためになれば」と、後輩のため打撃投手を務めていたのだった。
4月から進学する大学の練習の合間に5度ほどシート打撃に登板。
横浜戦を控えた前日には、自らの大学での春のシーズンのベンチ入りをかけたテスト登板より後輩の練習を優先し、連日100球以上を徹底的に後輩に打ち込ませた・・・と記事にはあった。
「テスト登板は今後もチャンスがあるが、後輩には今しかない」
S君の心情を語った言葉が紹介されていた。
この記事の載った、S君の投球フォームを正面からとらえた写真は僕の宝物になった。
K高校は善戦むなしく長野日大に0−2で惜敗した。
こうしてS君の高校野球も本当の終わりを迎えた。
それは、僕にとっての「甲子園物語」の終わりでもあった。
そして今・・・。
(写真と記事は関係ありません)
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