僕の甲子園物語 第9話


 こうして甲子園初勝利を上げたK高校。

 しかし、僕の「教え子」S君は出場の機会を得られなかった。

 試合がある程度進んでからは、ずっとブルペンで投げていた。

 その姿を見られただけでも良かったのだが、やはり残念だった。

 オレンジの鮮やかなグラブを右手につけて、ブルペンで肩を作るS君。

 緊張のせいか、たまに返球を落としてしまい、帽子を取ってキャッチャーを務めてくれている先輩に謝っていた。

 試合の後、S君のお母様が僕に挨拶に来てくださった。

 「やっぱりSが出られたら嬉しいという思いがあるのですが、そうなったら心配で見ていられないかもしれないし・・・。最後のピンチももうひとりの子(同学年の)が行くのかな・・・とも思って・・・、でも、お陰さまでチームが勝ちました。ありがとうございました。」

 「おめでとうございます。嬉しかったです。今日はありがとうございました。僕、ずっとブルペン見ていました。オレンジのグラブ目だってって、すぐ見つけられて良かったです・・・。」

 見当外れのことを言う僕だったが、お母様は安堵されているようだった。

 S君のご家族やおじい様、おばあ様も安堵と喜びで幸せそうだった。
 
 野球は家族をひとつにするな〜。

 僕は少し距離を取ってその様子を見ていた。うらやましかった。

 自分も甲子園に出て、自分の家族をこういう風にしたかった・・・。

 
 その後、2回戦でK高校は日本文理と対戦。

 多くは語らず、ここはスコアを記しておこう。

  K 1 0 2 0 0 0 0 0 0=3
  日 1 0 0 3 0 1 1 0 X=6

 しかし、ひとつだけ嬉しいことがあった。

 1イニングだけS君が試合に出場できたのだ。

 S君はマウンドには上れずライトのポジションについた。

 しかも、僕はその姿をテレビでさえ見ることができなかったのだ。

 それでも、S君にとって野球人生で大きな一歩になったと思った。

 新聞にS君のコメントが出た。

 「あと3回、全部の甲子園に出るつもりでがんばる」

 そうだ。今度はマウンドで勇躍する姿を見せてくれ!

 僕は、この試合の後、S君に工藤公康投手の本を贈った。

 当時工藤投手は最年長で200勝に到達し、その自己管理術と投球哲学が脚光を浴びていた。

 S君からお礼のメールがきた。

 しかし、この後、K高校とS君に苦難の道が待ち受けていた。

 春の県大会、決勝で八幡商業と対戦したK高校は大敗した。

 0−10

 この試合の先発投手を任されていたのがS君だった。

 残念ながら春のセンバツに出場し一勝をあげたチームの姿には程遠いものといわざるを得なかった。

 何かがおかしい。

 その違和感は果たして外から見ている我々だけのものだったのだろうか。

 夏の大会、K高校は予選1回戦で敗れ去った・・・。

 県内で新興実力校として名を上げてきた滋賀学園に打ち負けての敗戦。

 そして、S君の名はこの大会の18人の登録メンバーになかったのだった・・・。

 2年続けての夏1回戦敗退。しかし去年はそこからの反攻でセンバツへ。

 果たして歴史は繰り返すのだろうか・・・。

(写真と記事は関係ありません)

 

 





















































































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