☆全国中等学校野球史(44)~大分~

大分県に野球が伝わったのは、明治21年のことで、大分中(大分上野丘)の英語教師が本国より持参した硬球を使って生徒に指導したといわれている。そして、明治30年に正式に野球部が創部された。
続いて、中津中(中津南)で創部され、明治37年、第五高等学校主催の第2回全九州中等学校野球大会に、大分中と中津中が参加している。その後、臼杵中、大分師範でも創部された。
しかし、大正4年に始まった第1回全国中等学校優勝野球大会の九州予選には1校も参加しなかった。
そして、大正5年、大分中と大分師範の対抗戦で応援団同士の紛争が起き、これがきっかけで大分中の野球部は解散してしまった。この影響で大分県の中等学校野球は下火になってしまった。
大分県が初めて予選に参加したのは、大正10年の第7回大会九州予選で、大分師範が参加した。しかし、会場へ向かう途中に一部選手が帰郷してしまい、選手不足で棄権となってしまった。
大分県勢が初めて全国大会に出場したのは、昭和6年の大分商であった。


初代表校
大分商(昭和6年夏)

初勝利校
大分商(昭和10年春)

最高成績
優勝

春夏通算成績
73勝88敗

最多勝利校
津久見 24勝





以上です。

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