☆センバツへの道 ~鹿児島県勢初の甲子園出場校・鶴丸高校~

鹿児島城は1601年(慶長6年)に島津家久が築いた城で、天守閣を持たない屋形づくりの城であった。城の地形が鶴の羽を広げた姿に似ていたので、別名「鶴丸城」とも呼ばれる(諸説あり)。現在は石垣や堀が残っており、本丸跡には鹿児島県歴史・美術センター黎明館が、二の丸跡には鹿児島県立図書館や鹿児島市立美術館などが建っている。2020年(令和2年)には、国内最大級の城門「鶴丸城御楼門」が復元された。

 

 

 

 

「鶴丸」といえば、やはり、鹿児島の名門・鶴丸高校である。今年の秋季鹿児島大会において、2回戦で鹿児島商業、3回戦で鹿児島実業を破ってベスト4の成績を収め、来春のセンバツ大会に21世紀枠での出場の可能性を残した。

他県では、宮城の名門・仙台一高が夏の甲子園準優勝の仙台育英を破った東陵を破って東北大会出場を決め、茨城の名門・水戸一高が夏の甲子園ベスト4の土浦日大を破った常磐大高を破ってベスト4に進出した。一部の旧制一中マニアにとってはたまらない秋になっている。

 

鶴丸高校は鹿児島県鹿児島市に所在し、1894年(明治27年)に鹿兒嶋縣尋常中學校として創立された歴史を有する。鶴丸の校名は、鹿児島城の別名「鶴丸城」に由来している。
野球部は1899年(明治32年)に創部され、鹿児島県内では鹿児島商業に次いで、加治木高校と並ぶ歴史を有する。
甲子園には、1925年(大正14年)の第2回選抜中等学校野球大会に1度だけ出場し、甲子園通算成績は0勝1敗である。この出場は、鹿児島県勢としても春夏通じて初の甲子園出場であった。

夏の全国大会予選には、1921年(大正10年)の第7回大会予選(九州大会)に鹿児島県勢として初めて参加した。結果は、初戦で中学伝習館(伝習館)に 9 - 2 で勝利した。続く試合は、中学明善(明善)に 0 - 1 と惜敗であった。
夏の予選通算成績は144勝101敗である。

 


伝統ある鶴丸高校、99年振りの甲子園復活に期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

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