☆埼玉県最古の高校 春季大会観戦記~不動岡高校~

元号が令和に変わる前にどうしても観ておきたいチームがあり、春季高校野球埼玉県大会東部地区予選が行われる越谷市民球場に向け、愛車のレクサスCT200hを走らせた。

観戦したかったのは不動岡高校、勿論、初めての観戦だ。ユニフォームはアイボリーホワイト、左袖には3本のペンを象った校章、胸にはエンジンで「FUDOOKA」と書かれていた。所謂、早稲田カラーのユニフォームで伝統を感じさせる。個人的には、以前から気になっていたユニフォーム(チーム)で、実際に観戦したら益々好きになった。

試合の方は、ヤンキース風ユニフォームの越谷東高校を相手に有利に展開していた。

 

 

 

 

 

 

 

不動岡高校は、埼玉県の北東部に位置し、こいのぼり生産量が日本一で、県内の市町村で唯一、群馬県、栃木県、茨城県の北関東3県と隣接している加須市にある。

学校創立は1886年(明治19年)で、私立埼玉英和學校として開校、1921年(大正10年)に埼玉県に移管され県立学校となった。埼玉県内の高校では最古の歴史を有し、SSHに指定された偏差値65~68の進学校である。スターダスト・レビューの根本要氏は同校のOBである。スターダスト・レビューといえば、木蘭の涙でしょうか?

余談ですが、根本要氏の実家は行田市の根本医院であることは有名な話です。

 

野球部は1903年(明治36年)に創部され、県内では県浦和、春日部に次ぐ歴史を有する。

夏の予選には、県内では熊谷中(熊谷)、浦和中(県浦和)、川越中(県川越)、埼玉商(深谷商)に次いで、1927年(昭和2年)の第13回大会予選(北関東大会)に埼玉師範とともに初参加した。結果は、初戦で川越中に 1 - 14 と大敗を喫した。

夏の予選初勝利は、1932年(昭和7年)の第18回大会予選(北関東大会)で、粕壁中(春日部)に 6 - 2 で勝利した。この年は準決勝まで勝ち進んだ。

1938年(昭和13年)の第24回大会予選(南関東大会)では、二度目となる準決勝に進出した。この時、剛球投手として活躍したのが、上尾や浦和学院で監督を務め、「埼玉県高校野球の父」と称されている野本喜一郎氏であった。準決勝の川越商(市立川越)戦では14奪三振を奪ったが、 1 - 3 で惜しくも敗れた。

夏の予選通算成績は72勝88敗1分で、最高成績は4強である。

 

 伝統ある不動岡高校の活躍に期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

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