大会初の連覇校 旧制・和歌山中学 (和歌山・桐蔭高校)
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Mr.black
2012年07月10日 11:58 visibility7491
高校野球で「野球王国」と言われる都道府県は全国にいくつかあります。
そのひとつである和歌山県。現在和歌山県の顔と言えば智弁和歌山高校ですね。
私の学生時代は箕島高校が全盛期で「和歌山代表イコール箕島」でした。甲子園で観戦した春夏連覇の瞬間は今でも心に残っています。
この野球王国・和歌山の礎を築いた学校、それが旧制の「和歌山中学」でした。
創立されたのは何と明治12年ということです。
野球が日本に入ってきた早い段階でこれを採りいれ、中等学校の全国大会が始まると早々に強豪校としての片鱗を見せます。
大正10年の第7回大会、そして翌年の第8回大会で史上初の連覇を達成します。まさに当時全国最強の学校だったのでしょう。
この和歌山中学が戦後の学制改革で「県立桐蔭高校」となったのです。
現在では桐蔭というと「大阪桐蔭」か神奈川の「桐蔭学園」が連想されるのでしょうが、学校の歴史では和歌山・桐蔭高校が遥かに凌駕しています。
桐蔭高校は和歌山城の東南に位置しています。アクセスは和歌山バスで「小松原5丁目」停留所下車。東に徒歩5分くらいの場所にあります。
(↑ 反射して読みにくいですが「和歌山県立桐蔭高等学校」と刻んであります。)
桐蔭となって最初の夏には全国で準優勝し、相変わらずの強豪ぶりを発揮した同校。この学校も松山商業と同じく夏に強い「夏将軍」です。
選手権で20回和歌山代表になり、優勝2回、準優勝3回を誇る屈指の名門です。
しかし進学校化が進み、加えて箕島・智弁和歌山などの台頭もあって今は甲子園から遠ざかっています。
最後に出たのは第68回大会。もう四半世紀以上も前になりました。ちなみにこの時は同じ古豪の宇都宮工業に初戦で敗退。
胸のマークはエンジの筆記体で「Toin」です。
校舎の壁にはユニと同じロゴの校名が。
ちなみに「桐蔭とは何ぞや?」と以前から思っていましたが、調べたら「少年老いやすく学成り難し」で有名な漢詩に由来するそうです。この漢詩に出てくる後半の文章から「桐のように真っ直ぐ育つように」という願いを込めて桐蔭と名付けられたらしいです。
個人的に信奉している故・西本幸雄氏も実は和歌山中の卒業生です。
西本氏の時代はあの「海草中学」(現:向陽高校)の伝説のエース嶋投手に敗れて甲子園には出られなかったそうです。
「球がまるで見えなかった」と同氏は嶋投手を評してそう語ったそうです。どんな投手だったのでしょうね?
そして和歌山中に勝った海草中が全国で優勝したのですから、この2校のレベルが当時いかに凄かったかという証明になりますね。
桐蔭のグランド。コンクリートでスタンドが造ってあります。公立校としては相当立派な設備です。この学校の歴史の一端がうかがえます。そこには横断幕に「努力なくして栄光はなし」と書いてあります。
文武両道の屈指の名門校がいつか甲子園に帰ってくる日を待っています。
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