僕の甲子園物語 第7話


 こうしてK高校のセンバツ初出場が決まり、僕は心躍る日々を過ごしていた。

 しかし、その頃、仕事がうまく行っていなかった。

 職場で一緒に仕事をしている人たちとの信頼関係を僕がうまく築けなかった。

 信頼関係が築けなかった・・・と言っても最初は些細なことがきっかけだった。

 徐々に綻びた穴が大きくなっていった。

 そんなことが2年ほと続いていた中で、ついに僕にとって忘れられない日がきてしまった。

 僕は、仕事についてのある失敗で、ひとりの先輩から厳しく叱責されている時に、失神してしまったのだ。

 病院に救急搬送された。

 心臓に疾患が見つかった。

 準緊急に手術を要す・・・という診断で、翌々日からだったか、入院することになった。

 僕は、病院に出発する朝、トリノオリンピックで荒川静香選手の金メダル獲得を生中継でラジオで聴き、涙を流した。

 スポーツは素晴しいと思った。

 僕は病入院中、自分の家庭教師の生徒だったS君が甲子園に出場することになったことと、S君を応援するようにお願いするポストカードを、昔からの友達に書いていた。

 自分の病気のことには一切触れなかった。心配をかけないというより、強がっていた。

 手術はカテーテルで行われたので、ダメージも少なく、10日ほどで退院できた。

 しかし、職場に戻っても僕は心を入れ替えて仕事をする・・・こともなく、新たなトラブルを起こしてしまい、結局職場に迷惑しかかけていなかった。

 もう、この職場・・・いや、この仕事を辞めようという気持にどんどん傾いていった。

 そんな時だった。

 S君のお母様からK高校のセンバツの試合観戦のお誘いを受けたのは。

 何と、応援バスに乗せてもらえるという。

 一も二もなく「お願いします!」。

 僕はこうしてセンバツ観戦に向かった。

 バスの中でS君のお母様から

 「お仕事、どうです?」

 と聞かれた時、僕の顔は引きつっていたと思う。

 バスは甲子園の近くの大きな駐車場に着き、僕らは歩いて甲子園球場に向かった。

 甲子園球場の周りは、日曜日と言うこともあり、人でごった返していた。

 未来の高校球児になるであろう少年野球の子供が多かった。

 3月にしては寒い日で、売店で売っている牛肉串がおいしそうに見えた。

 その日は、早稲田実業の試合もあり、スタンドは盛り上がっていた。

 そう!夏には「ハンカチ王子」と呼ばれることになる斎藤佑樹投手のいる早稲田実業である!

 ちょっとだけ試合も見た。早稲田実業が北海道栄に快勝した。

 一塁側アルプススタンドで早稲田カラーの臙脂が揺れていた。

 斎藤投手はバッテイングがすごい!・・打球音を聞いてそう思った。

 まさか夏にあれだけの国民的ヒーローになるとは想像していなかった。

 その後、いよいよK高校の登場である。

 僕はフィールド全体が見渡せるように、選手からは遠くなるが割と高いところに陣取った。

 相手は旭川実業。

 何となくK高校にカラーの似たチームだと感じた。

 S君を探す。

 背番号16・・・・いた、いた。

 遠目からでも緊張しているのが判る気がする。

 いや、S君だけではない。

 K高校全員の動きに緊張が感じられた。

 しかし、それは恐れや不安からの緊張ではない。

 それは、戦いを前に全神経と鍛えてきた肉体に流れるエネルギー・・・やってやろう!という気魄だった。

 さて、豊富なK高校投手陣の中から先発に選ばれたのは・・・。

 (写真と記事は関係ありません)





























































































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