import_contacts 「教育評論」に関するブログ
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人混みを歩いているとき人と体が触れたらすみませんと言いませんか?言わない人多いよね?そういう連中は、それが当り前という感覚なんだよね。ベビーカーで狭い店内に厚顔無恥に入って来るヤツ。人の動線にたむろっているヤツ。みんな同じだよね。みんながやっているから、ちょっとぐらいいじゃないかって思ってる。そういう感覚の人間に言葉で話して解ってもらえますかね?なのに、相手に気を遣って言葉を選んで話して何になるん...
|10年前 -
このところ、児童・生徒全員にタブレットを持たせようという動きがあるけど、こう言うこと考えるヤツって、ホントどうしようもないバカだね( ̄〜 ̄)ξなぜなら、最近のガキって自分から行動しようとしないでしょ?誰かが助けてくれるのをひたすら待っている。そして、他人が助けてくれて当たり前だと思っている。我が子はかわいいかも知れないけど、他人にしてみれば、基本、生きようが死のうがどうどもいい存在。そんなヤツに見...
|10年前 -
メリハリが大切。頭ごなしばかりでもダメだし、諭してばかりでもねぇ〜バランスです。何故そうでなければならないか、本人が充分解っていて、本人が弱さやエゴに負けてしまったときは頭ごなし。何故そうでなければならないか、イマイチ解ってないときは諭すことが必要。諭すときは、なるべく本人にも解る具体的な話で。ハッキリどちらかに分けられるものではないけれど、うまく使い分けることが肝要です。頭ごなしに叱られる場合は...
|10年前 -
子どもを“管理”しないから自主性が育たない。自由にのびのびと育てて判断を任せていたら行き着くところ、腹を空かせても口を開けてただエサを待つような、何もしない子どもが育つ。子どもの自主性を育てたかったら、適度な“管理”が必要なのである。♪Yes “Going for the One” (1977)
|10年前 -
気配りのできない人がホント多いよね。と言うか、周囲に自然と気を配れる人を探す方が大変なくらいだよね。気配りが出来ない人が、気配りの出来る人間になろうとして、気を配ろうとしたところでダメなんだよね。そんなことしてたら疲れちゃうよ。で、結局出来ない。気配りが出来る人って、気を配ってなんかいないんだよね。自然と振る舞っているだけなんだよね。それを周りがそう評価してくれてるだけなんだけど、本人はよく解って...
|10年前 -
中学までは義務教育なので、なるべく多くの生徒を落ちこぼさないように教育するのは解る。「無限の可能性」と言ったら嘘になるから、なるべくたくさんの選択肢を認識させる教育であってよい。だが、高校以上は、本来“落ちこぼす教育”だろう。本人の限界を教える教育であるべきである。自分の限界を知りつつ、ベストな方向性を選ぶ時期だよね。いい歳しながら“夢見る少年少女”諸君にはわからないだろうけどね(苦笑)♪ELP ...
|10年前 -
今の子どもは自らルール作りができない。我々の世代ぐらいからかなぁ。子どもの“自主性”を尊重して、自らルールを作らせる、なんてことを周りの大人が言い出したのは・・・・それって、ただの放任でしょ?そんな誇大妄想を抱いて設立された私学が埼玉のどっかにあったっけ。たまにでっかい新聞広告打ってるの見るけど・・・・でも、それはそれは内実は酷いものらしい。そもそも、ルールを作るときって、必ずそのモデルがあるでし...
|11年前 -
不条理も理不尽も知らない、今どきのガキはホントわきまえというものを知らない。君は何様?と言いたくなる態度を平気でとる。ガキの“分際”で何を言ってるかな?自分のエゴが突出したガキ・・・・叱ってみても諭してみても、全くこちらの話していることが耳に入らない。エゴがあまりにも強いため、自分のエゴを守ろうとするラビリンスに迷い込んでいる。自分のエゴだけを守ろうとするエゴが強いので、その迷宮から脱出したいとは...
|11年前 -
教育の本質は“嚇し”だよ。バカは否定するけどね。“脅し”じゃなく“嚇し”ですからね。お間違えなく(笑)“嚇し”でダメなら“駆け引き”だよ。まぁ、言葉(呼称)なんてレッテルだから大した問題ではないけど。首都圏の公立中学が使ってる手だって“嚇し”だよね。内申を盾に取って提出物をちゃんと提出するように生徒に迫る。よくバカどもは、生徒に根気よく話して聞かせて納得させてなんて出来もしないことを平気で口して、...
|11年前 -
<写真> ☆人間はエゴを持たなければ生きては行けない。しかし、そのエゴに手綱をかけなければ、それは野に放たれた野獣の如しである。自分のエゴを規制するのが、自分の自制心であったり自律心であれば理想だろう。それこそ人間は弱いものであるから、いつもいつも自分で自分を律することは難しい。だから、外部から己の生の原動力たるエゴに歯止めをかけるため、他人のエゴと衝突を避けるための調整役として様々な規律〜ルール...
|11年前 -
<写真>「道徳教科化求める」先日の某紙一面の見出しです。救いようないバカだね( ̄~ ̄)ξ道徳って、教科として教えられるものじゃないでしょ?言葉だけで教えることができるものではない。生活実践の中で身につけて行くもの。結局、バカが増えると、当然、社会が迷走する。それを軌道修正しようとしてバカなことを考えざるを得ない。そして、またバカが増える悪循環・・・・だ・か・ら、バカと心弱き者は社会を崩壊に導くんだ...
|11年前 -
<写真> 接客業というのは、接客する相手―客がいて接客する側がいる。すなわち、まず、客ありきなのである。まぁ、この方法もあまりうまい商売の仕方だとは思わないけどね・・・・私立学校や塾にとっては、その客にあたるのが生徒やその保護者になるのだろ。厳密に言えば、保護者になるのかな?このところ、「教育」もサービスであり、特に、塾は典型的なサービス業であるという風潮が強い。私立学校もこれに倣う傾向にある。し...
|12年前 -
「生徒をヤル気にさせる」なんて言ってる塾や家庭教師、よくいるよね。どうせ、おだてたりすかしたりしてるんだろうけど、何を見当ちがいなことしてるんでしょうね。精神的に大人になれば自ずと学ぶようになります。みんな、社会に出て学生のときにもっと勉強しとけばよかったと後悔するでしょう。もし、許されるなら、今からでも勉強したいと思うでしょう。漸く、学ぶ姿勢が出来たんですね。漸く大人になったんだね。遅すぎたんだ...
|12年前 -
いつ職員室に行ってみてもご自分の机にいない先生・・・・なんだか、立派な先生みたいだよね。座ってなんかいないで、いつも生徒の世話をしていそうで。最近、こんな先生がけっこう多い。なんだか、日本の教育の未来も少しは明るい?こんな熱心な先生がもっと多くなればいいように思うでしょう?しかし、実はその逆。こんな先生が増えるから日本の教育はどんどんダメになるんだよ。なぜかと言うと、こんなんじゃ、当の先生、まった...
|12年前 -
<写真> ★「柔軟な発想を大切にすること」と「けじめがない」のは、まったく別の話である。ここ何年も、子どもの柔軟な発想を大切にするという大義名分のもと、子どもにけじめをつけさせることを怠り、子どもたちは野放図に育ってしまった。「けじめ」という言葉も、もはや死語かな?では、その子どもたちはその「柔軟な発想」とやらを大切にしてもらい、何を身につけることができたのか・・・・?その結果、身につけられたもの...
|12年前 -
勉強を楽しくする必要なんてない。そうやって、何でも楽しくやろうとするから、結局、すべてが楽しくないのである。ふつうに帰る家があり、毎日、事欠くことなくご飯が食べられ、ふつうに毎日学校に通うことができるだけで充分楽しいと思わなければ傲りである。足ることを知るべきである。 そもそも、勉強などというものは、チーチーパッパ楽しくやるものではないだろう。今どきの子どものメンタルが年相応ではなく幼すぎるから周...
|12年前 -
成績優秀な子どもを育てる、簡単で確実な方法をお教えしましょう。その方法は至極簡単!“きちんと”躾をすればいいんですよ。ねっ?簡単(=単純)でしょ?“きちんと”躾けられた子どもは、その必要性を理解すれば、自ずから勉強します。そして、その子の能力が劣ってなければ、確実に成績は上がる。あっ、ただ、躾をする側のお父さん、お母さんが“きちんと”躾けられてなければダメですよ。人の動線を塞いでいることに気付けな...
|12年前 -
☆既習の定められた範囲を再度、学習させることにより、その範囲の知識を確実なものにさせ、技能を充分に向上させる。期限が定められていることにより、集中力も高まる環境と、学習計画を立て、その計画に沿って学習を進めることにより、計画性を身に付ける機会が得られる。簡単に言えば、“まとめ”をする機会を与えているのである。だから、試験範囲が決められているんだね。♪Pink Floyd “ Foot in the...
|12年前 -
私は、「今の日本のガキどもは生きる価値もない」というようなことをよく口にする。これを聞いた人は、その多くが、「何て酷いことを言うのか!」とか、「自分を何様だと思ってるのか?」などと思うことだろう。別に弁明がしたいわけではない。冒頭の言葉は、「論理的帰結」なのである。まず、正確に言えば、「今の日本の子ども」とは今の日本の子どもすべてではない。「今の日本の子ども」と言っても、このような言い方は、通常“...
|12年前 -
生徒を叱るのに、「頭ごなし」で十分!彼らの言い分など、どうでもいい。どうせ、個人の事情を公的な場に持ち出し、図々しく自分のエゴを周りに押し付けるだけでしょ?そもそも、帰る家があり、毎日食べられれば、それで充分であることを知るべきである。それ以外の悩みなど取るに足らない。確かに、彼らの事情?を聞いてやって、わかった風を装い、それなりに諭してやれば、今どきの羊のような生徒たちは懐いて言うことを聞くよう...
|12年前