import_contacts 「東北」に関するブログ
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復興が進む岩手県に、サッカーレジェンドOBをお招きし、 岩手県中学生選抜チームと(30分ハーフ)の試合を行うそうです。 コロナで楽しいイベントが奪われている子どもたちへの最高の思い出のために、 このようなプロジェクトは成功させてあげたいですね。 ■ サッカーレジェンドOB (予定) 岡野雅行さん、佐藤寿人さん、石川直宏さん、城彰二さん、坪井慶介さん、中田浩二さん、本田泰人さん、都築龍太さん、鈴木隆...
|3年前 -
天気も良く波も穏やかな海。石巻市の雄勝地区に立てられていた碑に、こんなことが書いてありました。『犠牲者への鎮魂と慰霊に思いを込め、今次の震災が永久に教訓となることを願って、この地に建立する』このような大惨事が二度と起こらないよう、バスガイドさんが何度も話されておりましたが、『地震が起こったら、津波が来る。私たち一人一人として出来ることは、限られていますが、まずは、この高さだから安全と考えるのではな...
|10年前 -
今日が東日本大震災から3年となりました。3年前のあの日がなれば、、、という思いが、今でも強く感じられます。しかし、震災が無ければ、出逢えなかった方々、気づかなかった事が、たくさんあることも事実であり、複雑な心境です。人間は、忘れやすい生き物です。東京のコンビニから食料が消え、ガソリンが無くなり、無計画停電や放射能の恐怖に怯えいたことが、嘘のように日常は続いてきました。ただ、日本全国や世界中の方々の...
|10年前 -
来週の土曜か日曜日にBlueRuncerメンバーと被災地へ行こうと思っていましたが、残念ながら、参加者は、私を含めて二人だけとなりました。ただ、今回、仕事や私用で参加できなかったメンバーの中から、いつか行ってみたいと言ってくれたので、今後も計画を立てたいと思います。今回は、土曜日ですが、日曜日には『気仙沼・南三陸町』へ向かうプランも行われていますし、4月からは福島などへ向かうプランもあるようです。...
|10年前 -
3月15日か16日にBlueRuncerのメンバーとJRが企画する復興応援ツアーに参加予定ですが、震災から三年ということもあり、現在の宮城県南三陸町を見に行ってきました。 他も回ってきたかったのですが、時間との兼ね合いと昨夏に立ち寄れなかったのもあり、こちらのみとなりました。 合同庁舎には、献花がありやお供え物があり、手を合わせに立ち寄る方々を見掛けました。 南三陸町さんさん商店街には、切り絵のモ...
|10年前 -
10時半過ぎ気仙沼市内に着きました。昨年、コンビニの前に漁船が打ち上げられていた場所を探しますが、なかなか見つかりません。〈写真〉湾の内側を走っていると、シャークミュージアムという建物が、目の前に見えてきました。〈写真〉気仙沼は、ふかひれの名産地。 施設は、津波の影響かひしゃげていました。乗り上げた船は、震災の遺産として残すか解体するかで、揉めていたようですが、現在は、既に解体が始まっています。ま...
|11年前 -
暗闇の中を宿泊地の宮城県南三陸町歌津に車を走らせます。歌津は、甚大な被害を受けた気仙沼市と南三陸町の間に位置する海に出っ張った岬でした。暗くてよく見えませんでしたが、道路沿いには、被害を受けた痕が残っているような気配を感じました。宿は、アットホームな感じで、駐車場には、いろいろな都道府県ナンバーの車が停まっていました。 受付の方に、その件を訪ねると、全国から泊まりに来てくれているようです。部屋は、...
|11年前 -
『奇跡の一本松』を見学した時、旅行前の母の言葉を思い出しました。 『あんなもの』に数億円かけるなんて、勿体ないわね。〈写真〉それは、現地を訪れていない人の言葉です。何キロも先の景色が一望できる異常さ。〈写真〉カーナビに映る景色は、そこにありません。この光景を、常に見ながら、生活をしている方には、『あんなもの』が希望の光になるかもしれない。復興もままならず、行方不明者もまだ何千人も存在する中、現地の...
|11年前 -
宮古市を抜けて、今回の目的の一つの陸前高田市を目指します。宮古市を出るときに、前回は、放置されていたガソリンスタンドがさら地になっていました。去年〈写真〉今年〈写真〉陸前高田市では、当日、『若興人祭(わこうどさい)』というイベントが開催されていました。『震災を機に故郷を離れた人々が戻ってくるきっかけにしたい。』という思いで、昨年から開催されているというニュースを、ある新聞で読み、イベントに参加しよ...
|11年前 -
今年もレンタカーを借りて、岩手県盛岡市から三陸海岸の宮古市へ向かい、南下して宮城県仙台市までおよそ450キロの旅。 今回の相棒も青い車でした。 〈写真〉旅の途中で、必ず立ち寄る『道の駅』は、前回に比べて活気がありました。三陸海岸が近づくに連れ、期待と不安が入り交じります。11時頃宮古市内の道の駅に到着。去年は、仮設のプレハブだったお店は、立派に改修されていました。 昨年〈写真〉〈写真〉今年 〈写真...
|11年前 -
私たち兄弟もそうでしたが、小さい頃から自然に触れる機会があることは、とても有り難いことだと思います。車などの騒音よりも、鳥たちのさえずりや、虫たちの羽音を聞き、川原を歩くことでバランス感覚を養い、どの草に触れると切り傷が出来るのか、注意力と判断力が身に付きました。 野菜の甘みや苦み、どのようにして、食卓に運ばれるのか? 自然との接する機会がたくさんあります。接しながら、共に生きていかなければならな...
|11年前 -
翌日の朝食には、朝の取れたて野菜のトマトや茄子、きゅうり、カボチャ、インゲンが並びました。トマトときゅうりが大好きなりっくんは、朝からテンションMAXです(笑) 〈写真〉朝食を終え、お昼まで川遊びに出掛けます。 午前中の方が、アブやメジロは、少なかったです。が、弟が標的になっていました。川辺には、ウスバカゲロウやカワセミが舞っていました。スイカを浅瀬に浮かべ、この日は、弟が少し深い所に、りっくんを...
|11年前 -
8月14日から18日にかけて、福島県会津の祖母宅をまわり、岩手県と宮城県の被災地を見て参りました。17、18日と被災地を回る旅には、今回、始めてBlueRuncerのメンバーにも声をかけました。じゃらんなどの宿泊サイトに施設が掲載されるようになっていたからです。ただ、予定が合わず、今回も一人旅となりました。14日の朝に浅草駅を出発し、東京→埼玉→栃木を越え、電車に揺られること3時間半。最寄り駅に、...
|11年前 -
宮古市を離れ、一路、岩手県と宮城県の県境の気仙沼市を目指す途中昨日書いた日記を少し訂正したくなりました。。。山田町や大槌町、大船渡市、陸前高田市などを見る限り、『復興』とは、何をもって成し遂げられるのか?と改めて考えさせられました。元の街があった場所はほとんどが、整地されてはいましたが、解体されずに、被害当時の面影を遺す建物廃材(『津波の被害を受けた建築物』の残骸)を仕分け保管する場所になっている...
|12年前 -
いろいろな復興支援商品が販売されていました。塩サイダーと宮古の塩(シートピアなあど・道の駅・宮古)浜のミサンガ環(たまき)(道の駅・山田)東北道の駅ロードマップ・絆の扇子(道の駅・区界高原)絆の扇子の『半』の右側の点は、岩手県を型どっています。 他にもたくさんの商品が作られていました。157500
|12年前 -
お昼過ぎに、宮古へ到着。昨年、圧倒されたガソリンスタンドは、そのままの面影を遺したままでした。津波で流されたり、解体された家の土台には、一年の月日が経ち、草が生えているところ、整地され花壇になっているところ 新しく家を建てられているところがありました。市場や道の駅は、去年に比べて、少しずつ活気を取り戻して来ているような気がしました。157200
|12年前 -
ちと寝坊をしてしまい、盛岡駅前を10時15分に出発。若干天気は悪そう。今回の相棒は、ナンバーがロックな三菱のコルトくん。道の駅『区界(くざかい)高原』で、ひと休みをして、いざ、宮古市街へ。157500
|12年前 -
これから東京に帰ります。仙台駅前には、予定よりもだいぶ早く13時頃に着きました。石巻市も悲惨な光景がありました。大きな工場が多かった石巻は、工場の重機や部品などの瓦礫が新たな堤防のように積み上げられていました。取引先の工場もあったので、その場所を見に行くと、建屋は、そのままのように見えましたが、周りを囲っているはずの塀がありません。全て流されてしまったのか、建設現場のシートみたいなもので、覆われて...
|13年前 -
南三陸町へ来ています。カーナビには、いろんなものが映っていますが、何もありません。海岸線から250メートル近く離れた場所からも、まっすぐ海を眺めることが出来ます。まるで震災直後の光景を見ているようです。3階建ての建物ぐらい高さまでの瓦礫が積まれています。瓦礫と書いてきましたが、それは、以前は、この街並みを形成していた家屋や施設たちです。全てを飲み込んだ津波。今日だけでも、橋桁のみの橋や線路の上に乗...
|13年前 -
結局、コンビニの駐車場で車中泊して、明るい陽射しで目が覚めました。現在は、宮城県気仙沼市本吉町辺りです。今日は、約12時間後には仙台駅前でレンタカーを返却しなくてはならないので、これから出発します。昨日から国道45号線を南下(宮古市~気仙沼市)してきましたが、今のところ、通れない場所はありませんでした。写真は、見にくいですが、宮古の津波が直撃した市場の裏手に掛けられていた千羽鶴です。色褪せていまし...
|13年前