import_contacts 「高校野球」に関するブログ
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1963年(昭和38年)夏の選手権大会は、第45回の記念大会として南北北海道と各都府県から1校ずつ、計48代表での大会となった。参加校が増えたため第40回大会同様、3回戦までは甲子園球場と西宮球場が併用された。西宮球場が使用されたのは、1回戦16試合中6試合、2回戦16試合中8試合、3回戦8試合中4試合であった。この大会で春夏通じての初出場校は以下の16校であった。釧路商(北北海道)花巻北(岩手)...
|3年前 -
やっぱ この時期、この球音を聞きたいですよね❗️ キンっという金属バットの打球音✨✨✨✨ 半休入れていたので、第二の明徳義塾vs仙台育英戦を時間の許す限り見てました。 いくら桜が開花、満開した!というニュースを聞いても春が来た気がしないんですよね、この球音を聞かないと。 球児達、いや、スタンドの応援団も含めた高校生の表情を見ると気が引き締まります❗️ なぜか、負けてらんねぇ~って、思うアホなアラフ...
|3年前 -
~写真は栄城野球部100周年記念誌より~ 佐賀西高校の源流である藩校「弘道館」は、佐賀城内にあった。佐賀城は別名「栄(さかえ)城」とも呼ばれる。佐賀西高校は、前身の旧制佐賀中学時代から栄城を音読みした「えいじょう」をさまざまな場面で使ってきた。同窓会も「栄城会」と称している。 野球部のユニフォームにも「EIJO」が記されている。1921年(大正10年)、当時の主将としてナインを率いる伊丹選手(後に...
|3年前 -
2012年3月10日の日記で、夏の地方予選決勝に3回以上進出しているが、あと一歩のところで甲子園に届かず、春夏通じて未だ甲子園に出場していない高校について記述した。(間違いがありましたらご容赦下さい) 10回 旭川東(北海道) 4回 帯広南商(北海道) 八戸工(青森)米沢中央(山形)日大高(神奈川)岐阜総合学園(岐阜)大垣南(岐阜) 鹿児島城西(鹿児島) 3回 稚内大谷(北海道)遠軽(北海道)水沢...
|3年前 -
※不要不急の外出はお控え下さい (横断幕は新調してますね) 1月29日、球春の到来を告げる第93回選抜高校野球大会の出場校が決定した。 昨年の日本シリーズで虚人の強力打線をきりきり舞いさせた、ソフトバンクのサブマリン高橋礼投手の母校である専大松戸が関東地区では唯一の選抜初出場となった。(夏は1回出場) 今年のパ・リーグで最多勝争いをするのではないか?とアタシが密かに期待している日本ハムの上沢投手の...
|3年前 -
今から28年前、1992年の第74回全国高校野球選手権大会は甲子園のラッキーゾーンが撤去されて初めての選手権大会となった。2回戦の第三試合、明徳義塾と星稜の試合では、星稜・松井への「5打席連続敬遠」があった。「5打席連続敬遠」の印象が強く残り、その前の試合で、夏の予選皆勤校である島根の大社が登場していた記憶すらなくなっていた。この大会で優勝したのが西日本短大付、準優勝が拓大紅陵、決勝戦はよく覚えて...
|4年前 -
~ 常総学院時代の木内幸男監督(写真中央)~ 妻が未明に外出している。知らないうちに新聞配達を始めていた。理由を問うとタンスを指す。質に入っていない着物は一枚だけであった。「野球ができるなら給料などは」と情熱のすべてを指導に傾けるうちに、茨城県立取手二高野球部を率いる木内監督の家計は危機的になっていたという。 月々の手当は当初、四千円だったそうだ。常陽新聞新社編『木内流子供の力の引き出し方』にある...
|4年前 -
安らかに。 常総学院のイメージが強いですが 取手二高で、あのKK相手の優勝は鮮明に覚えております。 近くのスポーツ店の優勝高校予想で、取手二高と書き、貰ったハンカチは、まだ、持ってます❗️ 一時は、低迷する虎さんの監督⁉️⁉️なんて、噂もありましたね。 木内さんがいるベンチは、皆、楽しそうにやってましたね。近年は、そんな感じですが、少し前の強豪高校は、殺伐としてるように見えましたが、とにかく選手が...
|4年前 -
※無観客試合のため、スタンド外の風景でお楽しみ下さい。 10月27日(火)、第73回秋季関東地区高校野球大会の準々決勝がZOZOマリンスタジアムと柏の葉公園野球場で行われ、東海大甲府(山梨1位)、高崎健康福祉大高崎(群馬1位)、常総学院(茨城2位)、専修大松戸(千葉3位)が4強入りを決め、来春のセンバツ出場が有力になった。 東海大相模(神奈川1位)000 001 000 =1000 000 002...
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~南北海道独自大会2020 より~ 本日、第73回秋季北海道高校野球大会の決勝が札幌円山球場で行われ、北海が旭川実に 1 - 0 で勝利し、10年ぶり12度目の優勝を果たした。この優勝により、北海は来春のセンバツ大会への出場が有力になった。 北海高校は北海道札幌市豊平区に所在し、1885年(明治18年)3月に北海英語学校として創立された歴史を有する。野球部は1901年(明治34年)に創部され、北海...
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観音寺一高は、47都道府県の中で最も面積が狭く、日本一面積の大きい市町村である岐阜県高山市よりも狭い香川県の、西の玄関口であり、拠点都市となっている観音寺市に所在し、1900年(明治33年)に香川県立丸亀中学校三豊分校として創立された歴史を有し、その後、香川県立三豊女子高校と統合され現校名となった、香川県内有数の進学校である。「アーウー宰相」や「讃岐の鈍牛」の異名があった、第68・69代内閣総理大...
|4年前 -
都立高校が夏の全国大会予選において決勝に進出したのはこれまでに12回あり、国立、城東、雪谷の3校が甲子園出場を果たしている。(春は小山台が21世紀枠で出場) ①1946年(昭和21年) 第28回東京大会決勝東京高等師範付中(筑波大付) 3 - 2 都立一中(都立日比谷) ②1949年(昭和24年) 第31回東京大会決勝慶応 9 - 0 都立八高(都立小山台) ③1978年(昭和53年) 第60回西...
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夏の地方予選で最も勝利数が多い高校はどこだろう? とふと思った。 夏の全国大会出場回数ベスト5は以下の高校である。 北海 38回松商学園 36回 龍谷大平安 34回 早稲田実業 29回 仙台育英 28回中京大中京 28回県岐阜商業 28回天理 28回 参考までに、夏の全国大会での勝利数ベスト5は以下の高校である。 中京大中京 78勝21敗龍谷大平安 61勝31敗松山商業 60勝21敗1分PL学園 ...
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静岡県で最初に野球部が創部されたのは浜松中(浜松北)で、明治29年といわれている。半年後には静岡中(静岡)でも創部され、明治30年には両校で対抗試合が行われた。その後、韮山中(韮山)、掛川中(掛川西)、沼津中(沼津東)、中泉農業(磐田農)、榛原中(榛原)などでも対抗試合が行われるようになった。大正4年の第1回全国中等学校優勝野球大会東海予選は、東海五県連合野球大会(リーグ戦)が予選となった。しかし...
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滋賀の伊香(いか)高校が2020年のセンバツ大会における、近畿地区の21世紀枠推薦校に選出されたのは記憶に新しい。その時、アタシは甲子園で千葉の多古(たこ)高校との「頭足類校名対戦」が実現すれは面白いなと思った。ユニフォームをみると、「頭足類校名の早慶戦」といった感じでしょうか。もし、対戦が実現すれば、10 - 8 で伊香高校が勝つでしょう。何故このスコアかは分かりますよね?(笑) 伊香高校は滋賀...
|4年前 -
群馬県で初めて野球部が創部されたのは、明治30年の前橋中(前橋)であった。明治31年には高崎中(高崎)、明治33年には太田中(太田)、明治35年には富岡中(富岡)と次々に野球部が創部された。しかし、目立った活動はなく、大正5年に初めて開催された第2回夏の全国大会関東予選には1校も参加していない。 大正9年の第6回大会関東予選に前橋中が初めて参加した。前橋中は初出場ながら、圧勝で決勝まで進出したが、...
|4年前 -
大田原中が決勝でサヨナラ負けした次の年、大正12年8月2日、群馬県・前橋中で第9回中等学校野球関東大会の決勝戦が行われていた。 試合は千葉中が先攻で、宇都宮商・館投手は四球や内野のエラーなどで小刻みに点を奪われ、4 - 1 とリードされていた。しかし7回裏、宇都宮商は疲れの見え始めた千葉・高山投手を攻めたてた。怒涛の攻撃でこの回に一挙6点を奪い、7 - 4 と試合をひっくり返してしまった。その後、...
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香川県で初めて野球部が創部されたのは、明治29年の高松中(高松)であった。その後、明治30年には丸亀中(丸亀)、明治42年には香川商(高松商)、明治43年には大川中(三本松)で創部され、盛んに対抗戦が行われた。 大正4年の第1回全国中等学校優勝野球大会四国予選には、香川県から高松中、丸亀中、香川商、大川中、三豊中(観音寺一)の5校が参加し、高松中と香川商の決勝となった。この試合は乱打戦となり、9 ...
|4年前 -
『桐蔭』の本家本元は和歌山の桐蔭高校です。 類似品には十分ご注意下さい。(笑) 『和歌山中・桐蔭高野球部百年史』によると、和歌山に野球が伝わったのは1897年(明治30年)の9月で、和歌山中に赴任した青年教師の坂口昂と香川直勝がボールとバットを用意し、和歌山城・砂の丸コートで指導したのが始まりとされている。 1913年(大正2年)の4月には「野球校長」と呼ばれた野村浩一が赴任。「末成りの瓢箪(うら...
|4年前 -
金沢泉丘高校は加賀前田家の城下町として栄えた石川県金沢市に所在し、1893年(明治26年)に石川県尋常中学校として創立された120年を優に越える歴史と伝統を有する石川県内屈指の進学校である。 野球部は1907年(明治40年)に創部され、石川県内では金沢錦丘、小松、金沢商に次ぐ歴史を有する。甲子園には夏のみ4回出場し、甲子園通算成績は1勝4敗である。夏の全国大会予選には、1916年(大正5年)の第2...
|4年前