「ノンプロ」と「プロ野球二軍」(ENEOSグランド)
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Mr.black
2022年06月05日 10:20 visibility3652
前回と前々回で訪問した「大洋多摩川球場」と「日本ハム球団多摩川グランド」。
この両球場の中間辺りにもう1箇所硬式野球場がありました。河川敷側ではなく、土手の内側です。
高い防球ネットで覆われ、全面人工芝の立派な野球場。これは社会人野球「JX-ENEOS 」のホームグランドです。センターは112mと狭いものの、両翼は100mあります。
バックネット裏には小さいながらも観客席があり、一部分ですが屋根も設置されています。100人程度は収容出来るようです。
1979年の航空写真でもこの球場は写っており、その時は内野クレー・外野天然芝のグランドながら今と遜色のないように見えます。
2017年にここで観戦された方の個人ブログを読むと「2014年にクラブハウスと合宿所が新設された」とのこと。そしてグランドは既に人工芝でした。
その前の2013年に観戦された別な方の個人ブログ写真ではクレーと天然芝だったので、おそらくはクラブハウス等の新設の際にグランドも人工芝になったと思われます。
日ハムや巨人の河川敷グランドと比較すると顕著ですが、1970~80年代頃までは社会人野球のグランドの方が立派なことが多いです。そもそも昔は二軍専用のグランドを持っていないプロ野球チームが複数あり、そういうチームは時々社会人野球のグランドや公営グランドを間借りしたこともあったのですからね。
(一軍が使わない時に一軍の設備を使用・あるいは一軍二軍合同での練習もしていたようですが、全く使えない時はジプシーだったようです。)
この頃の球団経営陣の考えは「プロ野球チームの維持には大変な経費がかかる。ハッキリ言えば赤字で儲からん。それでも一軍は金を稼いでくれるからまだいいが、二軍は全然稼がん。二軍の選手は言わば無駄飯食い。ファームに金なんか掛けられん」というものだったでしょう。
以前に読んだ稲尾和久氏の記事でも、当時の西鉄ライオンズ二軍の環境が悪かった旨の述懐がありました。
プロ野球のファームの環境が整い始めたのは1980年代後半から90年代頃だったと記憶しています。
それまではむしろ社会人野球のトップチームの方が恵まれた練習環境だったでしょうね。
今はほとんど言わないと思いますが、私の子供の頃は社会人野球のことを「ノンプロ」と呼称していました。
「ノンプロ」にはいろいろな意味があったと思われます。
「プロではなくアマ」とわざわざ強調しているのは、当時まだまだプロ野球選手の社会的地位や評価が一部の球団を除けば低かったからでしょう。
一方で「アマだけどプロ並みのレベルを持っている」というプライドもあったのでしょう。
現在はNPBのファーム環境は格段に良くなっています。
ヤクルトは河川敷、広島は「秘境」と呼ばれる場所がホームグランドですが、選手寮などは昔に比べればずっと良いでしょう。
そして私が実際に行った中で、巨人やソフトバンクのファーム球場なんてビックリするほど立派です。(特にソフトバンク。)
逆に社会人野球の方は昨今の経済状況もあって衰退気味です。
今回、多摩川周辺を徘徊し、NPBファームと社会人の今昔をほんの少しながら体験出来たのはいい勉強になりました。
NPBファームの現行本拠地は12球団中まだ5球団しか訪問出来ていませんが、 おいおい行ってみたいと思っています。
今回の遠征記はこれでようやく終了です。
長い話にお付き合いいただきありがとうございました。
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