import_contacts 「教育評論」に関するブログ
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今どきの心弱い母親がお好きな言葉。「私は母親である前にひとりの人間であり女なんです。」何、開き直ってるかねぇ( ̄~ ̄)ξそんな生ぬるい考えじゃ、子どもなんかまともに育てられない。逆だよ!逆!「人間であり女である前に母親」なんだよ。何故なら、親は自分の子どもに対して自分の人生を賭けた責任があるからである。この観点から言えば、母親と子どもは独立した存在ではない。子どもがひとり立ちするまでは自分の時間な...
|7年前 -
このところ面倒見のいい学校がもてはやされている。今や大学までもが面倒見のいいことを売りにしている始末である( ̄〜 ̄)ξ面倒見がいいことが必要なのはせいぜい小学校の低学年までで、少なくとも中高生には面倒見のよさなど、本来必要がないだろうに。寧ろ害悪である。況してや大学生にもなって、何事につけても手取り足取り他人の世話になっているようでは、いつになったら自立するのだろうか?ひとりの人間として自立するこ...
|7年前 -
「合格のメソッドがあります」(某塾のキャッチコピー)ではないんだよ。正確には「合格する受験生を集めるメソッドあります」なんじゃないの?勉強の方法なんて決まりきってる。特別なメソッドがあるわけじゃない。ただ、今どきの連中は大人も含めて、何事も徹底することができない。それで、本質的には何の意味もない小手先の“メソッド”が登場するわけだ。まぁ、それじゃぁ、何をやってもダメなんだけどね( ̄~ ̄)ξ♪愛乙女...
|8年前 -
最近、面倒見の良い教育がもてはやされて、教職員も忙しいことが良いとされている。とにかく子供に手を掛けることが良いとされているけれど、これって、教育が成功していないよね。単に目の前の子供たちが、何の躾もされていないバカなお子様だっていうだけのことでしょ?だから手が掛かるし、手を掛けることが良いことだと勘違いしているんじゃない?もういい加減、底辺を平均値までに引き上げることに情熱を傾けることは止めにし...
|8年前 -
受験の成否は、所詮、本人がきちんと自己管理ができるか否かによるものである。自己管理がきちんとできる者は成功するし、できない者は失敗する。そして、こうした自己管理能力(←やたらに「能力」という言葉を使いたくないが、適当な言葉が見当たらない・・・・)の土台は家庭教育で形成されるものである。その土台が出来上がっていないのにいくら学校教育を受けたところでうまくはいかない。すなはち、受験の成否は家庭の躾によ...
|8年前 -
聴く力のない生徒は、読む力も解く力もない。対象に対しての注意力、自ら関わろうとする姿勢が欠落している。望まないことは何でもやり過ごすというメンタルや生まれたときから周囲が何でもしてくれて、自ら対象に関わった経験が乏しいことが原因である。♪Gong “Live etc.” (1977)
|9年前 -
日本の政治家は無策であり、他の政党の揚げ足取りばかりしているとはよく言われるが、政治家だけでなく普通の大人が他人の揚げ足を取るようなことばかりしている。言葉尻を曲解し拡大解釈して騒ぎ立て人を貶める。いじめを無くそうなんて声高に叫んでいる連中がまさにそれだ。が、故にいじめを無くそうと叫んでいる連中がいる限りいじめを無くそうとしたところで無くなりはしない。すなわち、連中に共鳴していじめを無くそうとする...
|9年前 -
よく我々は「教育する」と言うよね?でも、「教育」は“する”ものじゃないんだよ。“見せる”ものなんだよね。見せる自分があってこそ人を育てられる。だから、「教育ママ」は我が子をまともな育てられない。見せる自分なくして我が子を育てようとするから・・・・じゃぁ、見せる自分がない人間はどうすればいいかというと・・・・絶望するしかないΨ(`∀´#)♪Jeff Beck “YOSOGAI” (2014)
|9年前 -
「育ちが良い」というのは経済的に豊かな家庭に育ったという意味ではない。育った家庭が経済的に豊かであるのか貧しいのかには関係なく、育てくれた親が道理をわきまえ品格のある人間であったか否かによるものである。子どもに教えるべきことを教え、躾けるべき躾をしている家庭に育ったなら、その子どもは「育ちが良い」のである。逆に育ちの悪い子どもの顔は醜い。「育ち」は子どもの顔を形づくる。育ちの悪い子どもは周囲の空気...
|9年前 -
やっぱり教員ってバカ!いつまでも夢の中で遊んでる・・・・( ̄〜 ̄)ξ「いじめ0宣言!」どうやら教育現場は本当にそんなことを考えているらしい。と言うか、かなりヒステリックに推し進めているような気がする。仮に、学校でのいじめが0になったとしよう。いじめられたこもなく、いじめを見たこともない子供が、いざ社会に出ていじめにあったとしたらどうなるだろう?いじめというものに何の免疫もない人間は粉々になるしかな...
|9年前 -
何でもそうなんだけど、そのハードルを越えられないヤツがたくさんいるからと言ってハードルを下げても、やっぱり今までよりも低いハードルすら越えることができないヤツはいる。しかも数が増えて現れる。例えば、学校現場で学習について来られないからと言ってレベルを下げれば、それにもついて来られない落ちこぼれが更に大量発生するものである。どうしてもついて来られない落ちこぼれは落ちこぼさなくてはいけない。そもそも、...
|9年前 -
今どきの生徒は問題を“見て”「わからない」と直感すると調べもせず、考えることもせずにすぐに聞いて来る。まず、問題を“見て”と言ったのはキチンと問題文を読んでいないことが多い。そりゃぁ、どんな秀才(←死語?)でもわからないよね。況してや凡人なら、わからない問題に出会ったら、まず自分で考え、わからないこと、忘れてしまっていることは自分で調べなくては解けるわけがない。ひとつの問題を1週間考え続けるような...
|9年前 -
†今どきの子どもは、木の上に成る熟した実より、すぐに手の届く腐った実を選ぶ。そんなことを積み重ねた人生は価値がないどころか、社会に対して害悪ですらある。†子どもは「人」ではない。人未満。人未満だからこそ大切に育てるんでしょ?そんなことも解らない大人がホント多いよね( ̄〜 ̄)ξ†教育は「強制」であり「矯正」なのである。子供が持ち合わせてもいない自主性に訴え掛けて放任するものではない。†教育において、...
|9年前 -
仮に理想的な学習環境の下で勉強したとしても、ほとんど身につかないだろう。不満、不足、理不尽は最高の学習教材である。♪Boston “Third Stage” (1986)
|10年前 -
日本の教育が、現在、崩壊状態にある本当の原因は、子どもの教育をすべて人任せにし、自分の手で責任を持ってやろうとしなくなった、若しくはできないバカ親の言い分に社会が耳を貸し始めたことにある。♪Jeff Beck “Jeff Beck’s Guitar Shop with Terry Bozzio and Tony Hymas” (1989) ☆
|10年前 -
人間の基本的な「力」の上に構築された学力でなければ意味がない。人間の基本的な「力」とは何かというと、例えば、「大局的にものを観ることができる」、「細部に配慮することができる」、「論理的に話を進めることができる」、「適切なコミュニケーションがとれる」、「マニュアルでは対応しきれない部分に対するさじ加減ができる」、「道理をわきまえた判断ができる」などなどがある。この「力」が備わった上に構築された学力で...
|10年前 -
自由をこの手にするのには「わきまえ」「節度」を身に付けていなくてはならない。「わきまえ」「節度」を身に付けているからこそ自由であることが意味を持つ。であるから、半人前以下の子供に自由などまったく与える必要もなく、況してやむやみやたらに与えることは犯罪行為に等しい。彼らが自由を手にした瞬間、その自由はエゴと化してしまうのである。もし、与えるとするなら管理された自由である。段階的に許される範囲の自由を...
|10年前 -
生徒全員をひとりも落ちこぼさずに“できる”ようにするっいう学校の先生、よくいるよね。知ってました?そんなことすると、結局落ちこぼさなくてもいい生徒まで落ちこぼしてしまうことを。そもそも、全員を落ちこぼすことなく“できる”ようにした例を見たことあります?人間って、自分より劣った存在をステップにして伸びるというところがあるんだな。残念なことに。大切なのは、全員に平等に機会を与えるということ。あとは、そ...
|10年前 -
結構前のことになるが、担任の教師が自分のことを“くそガキ”としか思ってないと溢していたJKがいた。しかし、彼女は高校生という身分であるにも拘らずまったく勉強していない。標準的な教科書の練習問題を宿題として出されても面倒くさがって一切やらない。特に人柄がいいわけでもない。今風のJKである。他に際立ったところがあるわけでもない。これって、普通“くそガキ”って言うんじゃないの?自分が他人の目にどのように...
|10年前 -
注:この記事は昨年の4月に書いたものです。悪しからずm(_ _)m通学の途中なんであろう。朝っぱらから制服着て、車内で立ちながら棒アイスをくわえてるガキw(°O°)wしかも、4月下旬という暑くもないこの時期に・・・・食べたいと思ったときに、食べたいものを、場所もわきまえずにどこでも食べてしまう節操なさ。そんな連中相手に、体罰がどうのこうのなんて甘っちょろいこと言ってるから、“卒業までのたのしみ”と...
|10年前