import_contacts 「偽名選手列伝」に関するブログ
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ワタクシ、トイレが近いうえに飲んでから寝るので夜尿症かといわんばかりにトイレに立つのだけれど、昨夜は別々の夢で、ラボーラの方がそれぞれ登場したのであった。 一つの夢では、とある方とご一緒にお酒を飲んでいたのだけれど、翌朝、気付くと、その一緒にお酒を飲んでいた方からメッセージが!これってちょとすごいなあと思ったけれど、どうなんでしょうか。 もう一つの夢では、これまたラボーラのとあるあいけんさ〇が、彼...
|13年前 -
<写真> 今年は観るのにタイミングがあったことが多く、浦和レッズのゲームを最も観たような気がする。すると必然的にか偶然的にか浦和を応援していたゲームが多かったように思うけれども、ふとこれから日記を書くのに以前自分で書いた日記の一部を読み直すと「バトン」というタイトルの日記にて>1、応援してるチームの順位予想>間(←はざまかんぺいじゃないですよ)をとって6位。どこも応援していな>いけど。自信アリ。と...
|14年前 -
アントニオ猪木→プロレスマニアチェーホフ→文学、演劇マニアウェーベルン→現代音楽マニアブルックナー→クラシック音楽マニアヘーシンク→柔道マニア行灯→夜道、照明マニアあるいはひねくれもの上記いずれもあげなかった人→それが普通です。と猪木対アリを振り返る的なものをTVでたまたま見て、大してプロレスファンでもないくせに、昔猪木の自伝(文庫・古本)を読んでアントニオ猪木の愛称がアントン(たしか倍賞美津子さ...
|15年前 -
<写真> −)歳でレッドスターとプロ契約。翌年には出場こそ叶わなかったが、ヨーロッパチャンピオンとしてとよた真帆カップのために来日。帰国後年ほどして、混迷を極める母国を離れ、改めて日本に移り、来日時に恋に落ちた日本人女性・奈美さんと結婚。試合ゴールアシストという結果を残し一躍(岐阜の)時の人に。人と匹であった。※ 改めて書くまでもないかもしれませんがコメントは全てフィクションです。名前をお借りした...
|15年前 -
・・・うそです。トミーさんごめんなさい。ワラジミール・ウキワスキー(ロシア19?? ?→ロコモティフ・モスクワ)彗星のごとくロシアに現れたGK。テストを受けてロコモティフに入団し、瞬く間にスターになった。エレガントなプレイスタイルから「デューク」と呼ばれる。抜群の反射神経で次々と相手のシュートを止め、また博学であることから「ドクトル(博士)」と呼ぶチームメイトや「プロフェッサー(教授)」と呼ぶチー...
|16年前 -
スライム食べながら曲がった大学を酒癖で卒業し吸い物と鮭にモノレール大きな鮒汁っ子っていうか椅子?いいや医務そしてアレを干したの心の友ブダペスト二郎です。(otakeさんパクリました、謝謝)ということでなんとびっくり6月にはいって4回目の日記となったぜ、偽名選手列伝9(MFパラグアイ 1969−2000 オリンピア→アルセナル(アルゼンチン)→ヤクルトスワローズ(日本)→オリンピア)IQ180という...
|16年前 -
大騒ぎしているところからちょっと離れた(南東側)場所の小さな石橋から水面に映ったりする桜が綺麗ポイントその1、それから何気に公園内ではなく、井の頭公園駅のホームに生えている桜を駅横の小さな歩道で見上げるのが実は一番良い場所ではないか、などとローカルなネタを盛り込んでおけば「参考になった!」ボタンが3つくらいもらえるのではないか、とイヤラシイことを考えるだけでなく実行してしまう、オボロドウフスキがお...
|16年前 -
意味不明)って思ったけれども、数々の偽装事件とかのせいというのを尻もとい、知り、ぬか喜びだった!の「ぬか」って漬物つける、あの「ぬか?」というのが気になるオボロドウフスキがお届けする、偽名選手列伝7。「学変態度大!!」という文字が1年に1度位の頻度でスポーツ紙に登場するのはご愛嬌か。シドニーオリンピック予選の最中に、アルセナルからのオファーに一つ返事で承諾。船に乗って契約書を眺めているときにようや...
|16年前 -
結局負けるの好きなんじゃないの、と思うオボロドウフスキがお届けする偽名選手列伝6。ジョー・ダン(アイルランド1949〜1990 ボヘミアン→ノッティンガム・フォレスト)ラグビー・フットボールでも快速で鳴らした左サイドバック。研究熱心な男でサッカー・ラグビー以外にも、カラテ、ジュードー、サンボ、太極拳、キックボクシングなどあらゆる格闘技に精通していた。ノッティンガム・フォレスト時代はリーグ優勝、リー...
|17年前 -
兼生俊太(日本1945〜1968 黄金町FC→東京第一中学校サッカー部→渋谷裁縫専門学校サッカー部→東京クリーニング組合FC→日立製作所本社サッカー部)経歴の異色さと悲運とを今もオールドサッカーファンに嘆かれることの多い名FW。中学校を卒業後、家庭の事情で、働きながら渋谷裁縫専門学校に入学し、サッカー部を創設。練習試合などで高校サッカーの名門校を次々と破るなどして、全国高等学校蹴球選手権大会に参加...
|17年前 -
(ブラジル1972〜 ボタフォゴ→インデペンディエンテ→クルス・アスル→上海申花→ガラタサライ→メツ→武南高校→?)名選手を輩出してきたサッカー王国ブラジル出身のGK。若干16歳でボタフォゴにてプロデビューを飾り、その後アルゼンチンへ。しかしリベルタ・ドーレス杯を争う最中に「タコスを食べたい」と言い残してメキシコに移籍。「カンポス以降最高のGK」と評価されるも半年で今度は中国へ。その後もほぼ1年お...
|17年前 -
(ギリシャ・1955〜1983 AEKアテネ)183cm95kgと屈強な体でつぎつぎと相手の攻撃を跳ね返し続けたストッパー。優れた読みと力感あふれるヘディングで「2つの頭を持つ男」という異名を轟かせた。AEKアテネにおける1982〜1983シーズン、大車輪の活躍でチームを優勝に導いた後、毒キノコによる死を28歳で迎え、その短すぎる人生に対してロイター通信は「新ギリシャ悲劇」と世界に向けて打電した。...
|17年前 -
いや、もう多分ネタが出てこないというだけでもしかしたらそのうち。シュートフカスナヤ・ソリャーゼ・ツミョーノイチ(1963生まれ〜 スパルタク・モスクワ1983−1990 ラピッド・ウィーン1990−1992)華麗なドリブルと左足のパスに秀でたウイング。代表入りを熱望する、とりわけモスクワのサポーターは多かったが当時のソ連監督ロバノフスキーとの確執から、一度しか呼ばれることはなかった。180cmの長...
|17年前 -
(ポーランド1940−1988 CWKSワルシャワ→グールニク・サブジェ)ワールドカップ出場はなかったが熱狂的に愛されたインサイドレフト。グールニク・サブジェの黄金時代を築いた。165cmと小柄ながら精力的にピッチを動き回り、左右両足から強烈なミドルシュートを放った。喧嘩早く、退場するゲームも多かったが、多くのファンが彼のプレイと言動に夢中になった。1973年の引退後は農家としてサッカ−から無縁の...
|17年前
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