import_contacts 「消えた球場」に関するブログ
-
昨年レポートした西宮球場跡地の「西宮ガーデンズ」。 しかしその時、事前のリサーチ不足だったのでいろいろと見落としたことがありました。そこで先日現地再訪したわけです。 まず一枚目は4階屋上庭園にあるホームベースのモニュメント。 大阪球場跡地の「なんばパークス」と同じく、かつて球場のホームベースがあった位置に合わせて埋め込んであるモニュメントです。(もっとも4階なので高低差はありますが。苦笑) これは...
|13年前 -
兵庫県宝塚市。この地名を聞いて多くの方が連想するのは「宝塚歌劇」とそれを上演する「宝塚大劇場」でしょう。 しかし、かつてこの近くにはプロ野球場がありました。宝塚球場です。(「宝塚運動場」というのが正式な名前?) この球場が出来るきっかけはまず大阪の豊中グランドで開催された中等学校の野球大会(後の全国高校野球選手権大会)です。当時関西には大きなスポーツ施設がなく、そのためこの豊中グランドで野球やサッ...
|13年前 -
前ブログのとおり藤井寺球場の跡地に設置されたモニュメントがあまりにもお粗末なので、私の昔撮った写真を掲載しました。 それにしても近鉄サイドの球団や球場に対する愛の無さが悔しい。
|14年前 -
↑ リニューアル時に写真が横向きになってしまいました。 昨日は近鉄南大阪線を利用して藤井寺へと出かけました。この路線は時々利用するのですが、藤井寺駅に降り立つのは3年ぶりでした。ここにはかつて近鉄バッファローズの本拠地、藤井寺球場がありました。球団がオリックスとの統合によって消滅した後閉鎖され、解体。そして跡地北側には現在四天王寺大学と四天王寺小学校が、南側にはマンションが建てられています。(3年...
|14年前 -
南海ホークスの本拠地、大阪球場の跡地に建設された「なんばパークス」。 その最上部のエレベーターホールにあるメモリアルギャラリー。 この少し前に亡くなられた大沢啓二氏の写真の上には「ご冥福をお祈りいたします」の文字が。 私は近鉄ファンですが、それは度外視して「大阪の象徴は南海ホークス」と思っています。 ホークスの身売りと福岡移転の際には寂しい気持ちがありました。
|14年前 -
大阪府堺市北区中百舌鳥町・・・・・かつてここには南海ホークス2軍の本拠地「中モズ球場」がありました。この球場の起源は1935年から整備された「中百舌鳥総合運動場」でした。同運動場内に野球場が建設されたのは1939年頃だったそうです。(公園にはその他テニスコートや陸上競技場も併設。)当初はここで南海の1軍の公式戦も若干数ですが行われていたようです。しかし当時の交通事情としては堺市は遠くて不便というこ...
|14年前 -
<このブログに掲載していた写真はあいにく消えてしまいましたのでご了承ください。> 今回の遠征では東京スタジアムとともにもう一箇所球場跡地を回りました。それが「芝浦球場」跡地でした。現在の東京都港区海岸3丁目の「芝浦埠頭公園」のあたりにその球場は存在していたということです。この芝浦球場、私が調べた限りでは現在のところ「日本球界初のプロ野球本拠地球場」です。ここを本拠地としていたのは日本初のプロ野球チ...
|14年前 -
今回の東京遠征では野球場跡地を2箇所回りました。そのうちの一つが「東京スタジアム」跡地でした。私は今まで球場跡地へは独りもしくは妻としか行ったことがなかったのですが、今回はなんとマイヤキューのお二方がこれに同行してくださいました。「虎男さん」と「歴戦の雄さん」でした。 虎男さんは定通制野球大会の試合観戦直後に駒沢球場まで来てくださり、その後東京スタジアム最寄の南千住駅まで案内してくださいました。こ...
|14年前 -
競技場としては現存していますが、実質アメフト場になっており、野球は軟式しか出来ませんので「硬式野球場としては消滅した」というくくりでここに書きます。川崎球場、かつてはNPBの「高橋ユニオンズ」、「大洋ホエールズ」、「ロッテオリオンズ」が本拠地にしていました。 この球場が開場したのは1951年(昭和26年)。 その前年にNPBが2リーグ制になり、急激に球団数が増えたこともあって川崎では多くのプロ野球...
|14年前 -
前回で掲載しきれなかった写真をここに載せておきます。一枚目はギャラリーの入り口。 阪急ブレーブスの生みの親、小林一三(いちぞう)氏。阪急の歴史上欠くことのできない人物ですね。 西宮球場の正面入り口。ジオラマで精巧に再現されています。この姿を見て模型といいながら涙が出てきそうでした。 阪急黄金時代のエース、山田久志氏。足立光宏投手とのダブル・サブマリン・エースでした。背番号も16番と17番で並んでい...
|14年前 -
不定期に書いてきたこのシリーズもとうとう10回目を迎えました。奇しくも今回の主役である西宮球場は第1回目で取り上げたスタジアムでもあります。 ここを前回訪れたのはちょうど二年前の今頃でした。現在跡地には「阪急西宮ガーデンズ」という大型複合商業施設が建っています。(阪急百貨店・専門店テナント・東宝シネマなど)二年前はこの建設工事が始まって間もない頃でした。既に白亜のヨーロッパ城砦風の美しい外観を誇っ...
|14年前 -
残念ながら文章は全て消えてしまいました。 内容に力を込めて書いた文が消えると悔しい気持ちが強くなります。(涙)
|15年前 -
今回見分した東京都内の球場跡地は合計3箇所。その最後です。駒沢球場の歴史については以前に「球場の争奪戦」というタイトルで詳しく書きましたので、ここでは簡単に書きます。 現在駒沢オリンピック公園にある硬式野球場(写真)はかつてパ・リーグの東映フライヤーズが本拠地にしていた駒沢球場とは別物です。1950年(昭和25年)に2リーグ制になり、球団数が一気に増えたプロ野球。当然のことながら使用する球場の不足...
|15年前 -
(7)で紹介した洲崎球場と同じ年(1936年・昭和11年)に造られたのが上井草球場です。洲崎はこの年の11月に完成しましたが、上井草はそれよりも少し早い8月の完成だそうです。当時の名称は「東京球場」。まさに東京で最初に造られたプロ野球専用の球場だったのですね。 造ったのは西武鉄道。西武はこのプロ野球草創期に「東京セネタース」という球団を設立。自チームの専用球場として自社の沿線だった上井草に野球場を...
|15年前 -
今回東京遠征するにあたり、かつて都内にあった野球場の跡地見分に行ってきました。(3箇所。)順番がランダムなのですが整理がついたものから書いていこうと思います。 まずは洲崎球場から。日本に野球という文化が入ってきてから以降、全国各地で野球場が造られていきました。今日まで数多くの野球場が造られ、またその一方で取り壊されて消滅していった野球場もたくさんあります。 そんな消えていった野球場の中でもひときわ...
|15年前 -
不定期に書いているシリーズですが、これが増えていくということはそれだけ野球場が消えていったということでもあり、あまり増えて欲しいシリーズではありません。今回は福井市営球場です。(正式には福井市野球場。)JR福井駅の南に歩いていくと10分程度で到着するという非常に利便性がある野球場でした。かつてはここに福井師範学校がありました。戦災で消失し、跡地に木造で野球場が建てられたのが始まりです。その後、19...
|15年前 -
本当はレポートを書いてあったのですが、ラボーラのリニューアル時に文章が全て消えてしまいました。残念です。 この球場は6月で閉場され、その後解体されて消えました。 この日行われていたのは中学生の軟式野球の試合でした。 球場が建設される前には福井師範学校があったそうです。 上はその記念碑。師範学校は戦争で焼失したということでした。
|16年前 -
久しぶりに球場跡地を訪れました。場所は平和台球場。今回の遠征目的の半分はここの訪問。以前にも書きましたが行けずじまいで後悔していた場所です。 ホークスが福岡ドームに移転後解体され、鴻濾館遺跡の発掘調査が行われています。最初はスタンドの一部が残されていたようですが、福岡地震で亀裂が入るなど崩壊の危険があったためその後完全に解体されてしまいました。 現在は完全な空地状態。発掘の溝がいくつか存在し、重機...
|16年前 -
3日間にわたり関西の消滅した野球場跡地の見聞記を書いてきましたが、最後に総括として。球場の老朽化が原因の取り壊しは、たとえ別な場所であっても近隣に新しい球場が建つという発展的なことが起こりますが(広島など)、球団の身売りや消滅がらみの閉鎖(阪急、近鉄、南海など)、または観客動員の悪さから来る閉鎖(東京スタジアムなど)は文字通り球場そのものの取り壊しだけが発生するという悲劇しか起こりません。これをど...
|16年前 -
球場跡地めぐりの最後は難波の大阪球場。ここがどうなっているかは知っている方も多いとは思いますが、締めとして。 現在は「なんばパークス」という商業施設になっています。1期、2期と2回にわけて建設され、最近完成しました。1期の時に何度か訪れたのですが、当時は7階の「麺だらけ」という麺類のフードテーマパークの隣に「南海ホークスメモリアル・ギャラリー」がありました。歴代の名選手の写真、日本一のチャンピオン...
|16年前