import_contacts 「我的愛球史」に関するブログ
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<写真> 1988年のプロ野球で忘れてはならない事件といえば、南海ホークスと阪急ブレーブスが経営権をそれぞれ、ダイエーとオリックスに譲渡したことです。 奇しくもこれは昭和と言う大きな時代の終わりを、プロ野球の世界でも象徴する出来事になってしまいました。 南海の経営権譲渡については夏ごろから週刊誌の見出しにちらほら出ていたように記憶しています。 「九州のバースは身売り南海へ」 当時話題になっていた福...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません) 1988年、中学に入って生活に変化が起きました。 電車通学です。 毎朝、駅や電車の中で、通勤のおじさま方が読まれるスポーツ新聞を横から覗けるようになったのです! これが面白かった。 こんな面白いものが世の中にあるのか!と思うぐらい面白かったです。 だから、1998年夏までの見出しで今だ覚えているものがあるんです。 「近鉄首位だ 仰木マジック」 この時、近鉄...
|14年前 -
1987年、最下位に沈んだ阪神タイガースは、監督の交代を発表しました。 「次に阪神の監督をやるとしたら・・・村山さんぐらいしかおらへんなぁ」 と、野球にそんなに詳しくない父がつぶやいていたら、本当に村山実さんが就任されて、僕は驚きました。 「お父さん、すごい!」 父は昭和22年生まれですので、父が熱心に阪神を応援したかどうかは別として、自分の青春時代に阪神のエースとして君臨した村山実さんは思い入れ...
|14年前 -
<写真>(写真と記事は関係ありません) 1987年のプロ野球の話はほぼ全部、僕としては心残りなく書くことができた気がしますが(阪神のことがあまり書けないのが悲しい・・・最下位だったから・・・)、僕の大好きな高校野球についても書きたいと思います。 この年はPL学園が春夏連覇。 春の優勝の放送は、家族で行った彦根古城博覧会の会場に出ていた屋台のラジオから聴こえて来ました。 桜の下で聞く、近畿勢優勝のニ...
|14年前 -
我々は、自分達の概念や常識を覆す存在が海を越えてやって来た時、彼らのことをペリー艦隊の来航に準えてこう呼んできました・・・ 「黒船」。 1987年来航の黒船とは、1人のアメリカ人野球選手のことと言って間違いないでしょう。 既にシーズンが始まっていた4月。新聞に次のような見出しが躍りました。 ヤクルトに現役大リーガー入団。 アトランタ・ブレーブスの4番。 年俸3億円。 僕がまず目を剥いたのが「年俸3...
|14年前 -
<写真> 第9話を書き終えて、ちょっと反省しました。 お世話になった学習塾の塾長さんや、京大の沢田選手はもっと濃く書くべきだったなあ・・・野球エッセイ的に掘り下げていくと内容ある話だったのに、と。 一つの記事にあまりたくさんの話題を盛り込むのは記事の密度を薄めて構成をバラバラにしてしまう。 今日から一つの記事にできるだけ一つの話題にして、1年1年の野球の思い出を何話になっても丹念に追いかけてみるこ...
|14年前 -
<写真> サッカードイツ代表シュバインシュタイガー選手!何てかっこいい名前! 僕がドイツ人だったらこの苗字にしたい! そう!僕はタイガースファン!! でも、最近はサッカーを見る時間が多いし、日記もタイガースのことをあまり書いていない気が・・・。 いえ、いえ、それでも心はいつも阪神タイガースとともにあるのです・・・。 とか書いて、今日も巨人の話題です。 前回書いた、中日のスーパールーキー近藤真一選手...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません)僕が小学6年生だった1987年のプロ野球については思い出があり過ぎて、3つ4つは記事が書けそうです。 まず、僕は喘息を患っていたので、近所の病院の待合室にあった「アサヒグラフ」でプロ野球キャンプ特集を読んでいました。 中日星野仙一監督とロッテ有藤道世監督のお二人の記事が多かった。 あと、巨人のページが多くて、吉村禎章選手と桑田真澄選手の写真が多かったのを覚え...
|14年前 -
<写真> 1985年優勝の熱気が冷めやらない中、タイガースの1986年が開幕しました。 このシーズンから僕は野球をきっちり見るようになりました。 小学校5年生だった僕の野球の楽しみ方は、まず毎朝、スポーツ欄で野球の記事をチェックすることでした。 テレビで見ることはあまりしませんでした。 祖母と妹があまり野球に興味がないので、家でナイター中継をみることがあまりなかったのです。 しかし、この記事を書く...
|14年前 -
<写真> 僕が日課として毎朝、新聞のスポーツ欄を読んで学校に行くようになったのが1986年。 その年、一番の話題といえば、西武ライオンズ清原和博選手の活躍でした。 春先は新聞のホームランランキングの最後の方に出ていた清原選手が、シーズンが深まるごとに順位を上げていき、最後は31本塁打で大洋ホエールズの桑田武さんが持つ新人最多本塁打記録に並んだ。桑田武さんは大学を経てのプロ入りだったので、高卒新人と...
|14年前 -
<写真> 僕はその時まで、プロ野球選手という人達がどのようにして誕生するのか知りませんでした。 よくある笑い話ですが、僕は阪神タイガースの選手は野球がない時は電車を運転していると固く信じていました。 本当です。 野球をあまり見ない祖母に「それは違う」と教えてもらうまで、シーズンオフに掛布選手や岡田選手は電車を運転していると思いこんでいたのです。 そして、ドラフト会議と言うドラマチックな、時に残酷な...
|14年前 -
<写真> 1985年、僕の人生の転換期だったと思います。 この年から僕にとって野球を見ることが人生に欠かせないものとなりました。 7月に喘息キャンプに行った頃から「阪神は優勝するかもしれない」という話がちらほらでていましたが、8月に入るといよいよ「優勝しそうだ」という雰囲気に変ってきました。 何がすごかったかというと・・・・例えば、ワイドショーで夏休み心霊写真特集を見ていると、視聴者から「新聞に載...
|14年前 -
<写真> ワールドカップ期間につき、ついつい毎晩テレビ視聴時間が長くなり、パソコンを開く機会が減ってしまいました。 にわかサッカーファンしていますが、決勝が終われば高校野球に心は移ってゆくのです・・・きっと。 僕が本格的に一度も野球をしなかった理由の一つに、子供の頃、喘息を持っていたことがあります。 調子が悪い時は30メートル走っただけで発作が出て、そのまま1週間学校を休んでいました。 しかし、生...
|14年前 -
<写真> 「僕の甲子園物語」に続く新シリーズです。 野球に関する思い出を綴っていこうと思います。 運動音痴で野球経験ほとんどゼロのダメ男ですが、自分なりに野球を愛し、楽しんできた思い出を書いてゆこうと思います。 僕は本当に物心ついたときから野球が好きだったわけではありません。 一緒に住んでいた祖父は大の野球好きで、僕が甲子園に出ることを夢みていたと聞かされることがありましたが、僕が6歳の時に亡くな...
|14年前