import_contacts 「消えた球場」に関するブログ
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今回、大学野球「九州北部・2部リーグ戦」を観戦した場所は「長崎県営野球場」。 この名称よりも愛称の「長崎ビッグNスタジアム」の方が通りがいいですね。 正面口には写真のように大きな金色のヘルメットが設置されており、そこに「BigN」「STADIUM」と書かれています。「STADIUM」の文字は小さ過ぎて見えていませんが、「N」の右下にあります。 野球場の外側には選手やボールをモチーフにした絵・レリー...
|1ヶ月前 -
前回からの続きです。 大洋多摩川球場跡地を離れて土手の道を東南方向へ歩いて行きました。20~25分ほど歩くと、東急東横線の多摩川橋梁が目の前に。 それまでの道中、河川敷には草野球場がいくつもあるのですが、この橋梁手前のグランドは他よりも一回り大きいです。名称は「川崎市多摩川丸子橋硬式野球場」。一見軟式用ですが、硬式で利用出来るのですね。 両翼97m、センター122mもあるそうです。 この野球場と若...
|2年前 -
等々力球場で社会人野球を1試合観戦後、外に出て昼食。すぐには戻らずそのまま北へ向かって歩きました。 約15分歩いたところで工事現場に直面。そこが目的地。 ここは川崎市の下水道処理場「等々力環境センター」です。 かつてこの場所には大洋ホエールズの「大洋多摩川球場」がありました。運営され始めたのは1957年(昭和32年)とのこと。 多摩川周辺にはプロ野球のグランドが3か所ありました。拠点にしていたのは...
|2年前 -
阪急神戸線(及びJR神戸線)沿線にある「王子動物園」。 2017年の冬にレポートしたのですが、この動物園の敷地北東側に位置する遊園地はかつて関西学院のグランドでした。 旧グランドの部分がほぼそのまま遊園地の敷地になっていることと、それを明示する看板が作られているということで見分に訪れたわけですが、最近この周辺一帯を再開発する計画が発表されました。 市民の反対の声が多く出ているようですが、おそらくは...
|2年前 -
この年末に「とある遊園地」が閉園となります。 それは福岡県福岡市東区にある「かしいかえん(香椎花園)」。12月30日をもって閉園となるそうです。 この報道を知った時「しまった!」と思いました。この香椎花園の敷地の一角に西鉄ライオンズゆかりの野球場の痕跡が残っており、以前から訪問を考えていたからです。 その球場は「西鉄香椎野球場」。通常は単に「香椎球場」と呼称。西鉄ライオンズの二軍球場でした。 戦前...
|2年前 -
すっかり書くタイミングを失していたのですが、昨年フジテレビの「プロ野球珍プレー好プレー大賞」で面白い企画をやっていましたね。 それは東京ドームと後楽園球場の位置関係を探るもの。 珍プレー好プレーの放送が始まるきっかけになった中日・宇野選手の有名なヘディングシーンが現在ではどの位置になるのか?という企画でしたが、この時に東京ドームと後楽園球場の航空写真を合成させました。それが以下の画像。 野球場バカ...
|3年前 -
以前から難波方面に用事で出かけ、なおかつ時間に余裕がある時に立ち寄っていた場所が存在します。 それは「なんばパークス」9階の「南海ホークスメモリアルギャラリー」。大阪球場の跡地に建設されたというのは有名ですね。 ただ、コロナが日本国内で広まってからはミナミ周辺で用事があってもそれが終わったらサッサと帰り、立ち寄るのは我慢していました。 しかしこの度2月末で大阪の緊急事態宣言が解除されたこともあって...
|3年前 -
「とあるライフワーク」、それは「球場跡地の訪問」です。 前回からちょっと年月が経ってしまいましたが、このシリーズもとうとう40回目になりました。 長野県にある有名なお寺「善光寺」。 この善光寺の本堂から北東に6~7分ほど歩いた所に「城山公園」があります。 「城山」は「しろやま」ではなく「じょうやま」と読みます。地名は難しいですね。 公園の中央辺りに円形の芝生広場があるのが分るでしょうか? かつてこ...
|4年前 -
県営球場で高校野球広島大会を観戦後、帰路の途中で立ち寄った場所があります。それは旧・広島市民球場の跡地でした。 「県営を訪れたらやっぱりここへも挨拶しておかねば」と思ったのです。 おそらく多くの方々も訪れたと思います。これが旧・市民球場跡地の現在の様子です。私の立っている場所はバックネット裏周辺になります。そして奥に白い壁のような物が見えていますが、ここにかつてのライトスタンドの一部が保存されてい...
|7年前 -
その野球場は1932年(昭和7年)建設されたということです。 当時とある人物が「隣の群馬県には立派な野球場(※後述)があるのに我が県には無い。野球を普及させる為、そして県の野球レベルを上げる為には栃木にもしっかりした野球場の建設が必要」と唱え、その尽力があって完成したのが「宇都宮常設球場」です。 名称に「常設」という言葉がわざわざ使用されているのは「仮設や間に合わせのものではない立派な野球場である...
|7年前 -
今回の遠征で「トヨタスポーツセンター」に行く前に立ち寄った場所があります。 それは名古屋市東区の地下鉄「砂田橋駅」周辺。 この駅を出て南側に少し歩くと公団の団地群が見えてきます。 かつてこの場所は「大幸(だいこう)球場」という硬式野球場だったそうです。 愛知大学野球連盟の歴史を読むと「下部リーグ(2部・3部)のリーグ戦が大幸球場で行われてきたが、同球場の閉鎖により、以降は加盟大学のグランドを使用す...
|7年前 -
久しぶりの「消えた球場」シリーズです。今回は正確には「消えたグラウンド」ですが。 ところで今回のグラウンド跡地はラボーラのとあるメンバーさんから教えていただいた場所です。しばらく更新されていませんが、この場にて御礼申し上げます。 こういう知らなかった情報が手に入るのもここに登録していればこそですね。 JR神戸線「灘駅(写真)」、または阪急神戸線「王子公園駅」から徒歩数分の所に神戸市立王子動物園があ...
|7年前 -
今回の「森ノ宮キューズモール」開業によって、関西の旧・NPB本拠地4球場の跡地開発は全て終了しました。 日生球場は近鉄球団が「準本拠地」としていたものの、近鉄自体が球場の所有者であったわけではなく、あくまでも間借りでした。なので今回の開発事業で旧球場の記念碑なり何なりが作られなかったことはある種当然のことだったのかもしれません。日生は基本的には「アマチュア用の野球場」だったということです。 しかし...
|9年前 -
昨日はショッピングモール「森ノ宮キューズモール」のグランドオープン初日でした。 たまたま休みだったので訪れました。この場所は日生球場の跡地。個人的に最も思い入れのあった場所なので開業初日に行けたのは幸運でした。 正面口。昔だとレフトと3塁スタンドの切れ目辺りになります。 初日とあってマスコミ陣もたくさん居ました。お客さんも平日とは思えないほどの数。 「珍しい物好きな関西人」らしいと言えばらしいです...
|9年前 -
いつもならば球場レポートを先に書くのですが、今回は順番を変えて「消えた球場」から。(都合で球場レポートは後日落ち着いてから書きます。)現在、佐賀市内には県営球場(みどりの森球場)と市立球場(ブルースタジアム)の2球場が存在します。どちらも整備されたのは1999年とのこと。↑ 県営球場。愛称は「みどりの森球場」。↑ 市立球場。愛称は「ブルースタジアム」。外観では分かりませんが、内部がブルーで統一して...
|9年前 -
野球場好きの私にとって非常にありがたい本が最近出版されたので飛びついて購入。あっという間に読破しました。 それがタイトルにそのまま使った「洲崎球場のポール際」という本。 講談社出版。全269ページ。価格は1,500円(税別)。 著者は森田創(もりた そう)という御方。 プロの作家ではなく、これが初めての著書という一私人です。 1936年(昭和11年)、プロ野球専用球場として作られた木造の洲崎球場。...
|9年前 -
武蔵野訪問後、折り返しで都心部へ移動。 訪れたのは東京ドームでした。 最後にここを訪れたのは故・大沢親分が日ハム監督(二回目)だった時。なので20年以上経過していると思います。本当に久しぶりにこの場所に立ちました。 とは言え、今回の目的はドームではなく、後楽園跡地に立つこと。 高校野球の聖地は甲子園。 大学野球の聖地は神宮。 そしてプロ野球の聖地は後楽園と言ってもいいでしょう。後楽園で開催されたプ...
|9年前 -
JR中央本線「三鷹駅」の北側約2km、徒歩30分程度の場所にかつて巨大なプロ野球場がありました。 正式名は「東京スタヂアム」。通称「武蔵野グリーンパーク野球場」。 プロ野球開催を想定して収容5万人を超える規模で建設された野球場でした。 建設されたのは1951年(昭和26年)。当時の野球界を取り巻く状況がこの球場の建設を必要としていたからです。 この当時神宮球場が進駐軍(米軍)に接収されており、プロ...
|9年前 -
名古屋市中区に「大須観音」があります。 地下鉄鶴舞(つるまい)線の「大須観音駅」を上がってすぐのところにある大きな観音寺です。 この大須観音から南に徒歩2~3分の場所にかつて「大須球場」がありました。 建設されたのは1947年(昭和22年)の冬。実質翌年から稼働した野球場です。 元々この場所には本願寺の名古屋別院と大須二子山古墳があったそうです。 それが戦時中の名古屋大空襲で辺り一帯が焼け野原に。...
|10年前 -
「大洋はのう、昔下関におったんやけえの」 これは佐竹敏之氏著 「大洋ホエールズ誕生前!」の冒頭からの引用です。 著者の父親の口癖だったそうです。 前回も書きましたが現存する下関球場は二代目であり、かつて大洋ホエールズが本拠地としていた球場とは別物なのです。 初代・下関球場は現球場よりも町の中心部に近い下関市向洋町にありました。 完成したのは1949年(昭和24年)。これは実にタイムリーな時期でした...
|10年前