import_contacts 「我的愛球史」に関するブログ
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<写真>(写真と記事は関係ありません) とにかく彼にはタイガースの縦縞がよく似合っていた。 タイガースのユニフォームを着てマウンドで躍動する長身の彼には「青春の覇気」という言葉がぴったりだった。 暗黒時代のタイガースにおいてテレビの画面で見ているだけで「球が速い!」と思うピッチャーは彼だけだった。 好不調の波はあったかもしれないが、その好調時にはどんな相手と投げ合ってもひけをとらなかった。 それだ...
|14年前 -
<写真> 高校1年の夏休みにクラス合宿がありました。 現地集合だったので、僕はバスに揺られてバンガローのある山奥まで行きましたが、そのバスの中で読んでいた雑誌に面白い漫画が載っていました。 「泣くなイノマティー」(中山ラマダ先生・作) 当時どん底だった阪神というチームに在籍する選手を主人公にした漫画というだけでも珍しく、阪神ファンの僕には嬉しいものでした。 しかし、なぜに猪俣隆選手が主人公? 阪神...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません) 阪神の昭和最後のドラフト1位指名は、一風変った選手になりました。 まず「神埼工定時制」という、失礼ながら高校野球では聞いたことのない高校からの指名選手。 「定時制?へぇ、じゃあ、昼間は働きながら野球を続けてた人なのか?」 「仕事は阪神球団職員??じゃあ、甲子園の芝生を刈ったり、ボールを磨いたりしてる人なのか・・・?」 と言うことを、中学1年生だった僕は真面...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません) 1990年の秋、阪神に一人のルーキーが入団しました。 大学、社会人の実績は申し分ない左腕。 即戦力として期待を集めましたが、もう1つ話題になったことは彼が妻帯者でありお子さんもおられたこと。 「子連れルーキー」だったのです。 湯舟敏郎選手。 一家を支える大黒柱が実力勝負のプロの世界に飛び込んだのです。 さぞや1年目から活躍してくれるだろう、虎ファンは信じて...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません) 虎の1992年を振り返るシリーズも3回目です。 このシーズンは、投手陣が皆好調でした。 この年の先発投手陣については思い入れが深く、28話で書いた仲田幸司選手をはじめ湯舟敏郎選手、中込伸選手、猪俣隆選手、野田浩司選手、葛西稔選手・・・と、一人ひとりに思いいれがあるのですが、試合を締めるストッパーを務めた田村勤選手も忘れることができません。 湯舟投手と同期入...
|14年前 -
<写真>(写真と記事は関係ありません) 昨日は悔しかったなぁ。 球児、そして阪神ナインのみなさん、ほんまにお疲れさん。 今年も熱い戦いありがとうな。 今は傷を癒して、来年、一緒に雪辱しましょ!! さて、私は遅い夏休みを採っているのでしばらくは毎日でも日記を更新できます。 タイガースの1992年のシーズンは僕にとって宝物なので、この機会に書いてしまいたいと思います。 前の日記で新庄剛志選手の鮮烈なデ...
|14年前 -
<写真> (写真と記事は関係ありません) 昨日は友人の結婚式で大阪へ行きました。 CSシリーズ初戦の経過も結果も全然知らなかったのですが、帰りに大阪駅に立った時、タイガースのレプリカユニフォームを着た人が・・・表情で勝敗が分かりました。 残念。 この1年、タイガースは本当に苦しんだと思います。 このままじゃ苦しかっただけの1年になってしまう。 でも第2戦、そして最終戦と勝てば最高の形で「短期決戦に...
|14年前 -
平成3年、高校に入学した僕はフェンシング部に入部し、毎日練習に明け暮れていました。 中学をほぼ帰宅部で通した僕にとって、高校の運動部生活は新鮮で楽しい反面、体力的に厳しいものでした。 くたくたになって家に帰ると机に向かう体力も気力も尽き果てていました。 当然、プロ野球中継を見る時間もゆとりも減って行きました。 そんな中で定期試験一週間前の部活が休みになる期間は貴重な勉強タイム・・・のはずが、プロ野...
|14年前 -
僕は阪神ファンですが、今日は巨人の話題です。 しかも2軍のお話です。 僕が野球を見始めた頃(昭和60年代)から巨人だけは他球団に比べ断然戦力が厚い気がしていました。 本当は投手力は広島、1軍レギュラーの戦力では西武・・・という風に必ずしも巨人が最強でなかったのかも知れません。 しかし、ここに1つの事実があります。 巨人の2軍は1987年から1995年までイースタン・リーグで9連覇しているのです。 ...
|14年前 -
僕は中学時代、部活をしていませんでしたが、日曜日の午後は必ず父とキャッチボールをしていました。 父がボディビルをしていたので、トレーニングに行く前のウォーミングアップに僕とのキャッチボールをしてくれていたのです。 たまにどちらかの投げたボールが逸れてよその家に入ったときは、シャイな父はどこかに隠れてしまい僕が呼び鈴を鳴らして取りに行っていました。 野茂英雄投手が活躍した時、やめておけばいいのに父が...
|14年前 -
<写真> 僕は春のセンバツ大会では1990年(62回大会)と1991年(63回大会)の試合をたくさんテレビ観戦しました。 なぜか・・・中学でまともに部活をしていなかったからです。 春休みは家で楽しく野球観戦三昧!!・・・もったいないことしたな・・・今ではそう思います。 あの時期に野球部に入ってグランドで野球をしていれば、後々もっと野球を深く楽しめたのに・・・。 でも、やっぱり後悔よりも、あの2大会...
|14年前 -
<写真> 1990年の阪神タイガースは弱かった。 しかし、そんな中でも、僕らの胸を躍らせてくれる選手は確かにいた。 広島市民球場でのシーズン開幕戦は、岡田彰布選手の2本のホームランと中西清起選手の完封で、完璧なゲームだった。 その後、岡田選手はしばらくホームラン、打点のトップを走りチームを牽引した。 甲子園での見事なサヨナラホームランもあった。 だが、故障を抱えながら戦う岡田選手の失速とともに、チ...
|14年前 -
<写真>(写真と記事は関係ありません) 1989年のドラフト会議の目玉は新日鉄堺の野茂英雄選手、慶応大学の大森剛選手そして上之宮高校の元木大介選手の3人と言われていた。 僕は野茂選手を阪神が引き当てるのか、元木選手は巨人に指名されるのか、そして大森選手はどの球団に指名されるのか・・・ドキドキしながら自分の部屋でラジオを聴いていたことを覚えています(中学生だったのでテレビ買ってもらえなかったのです)...
|14年前 -
<写真>背番号14といえば、巨人のエース沢村栄治と連想する人がほとんどなのではないか。来日したメジャーのオールスターメンバーと堂々と渡り合い、ルー・ゲーリックのホームランによる1点に抑えた好投を実際に見た人は今やほとんどおられないでしょう。しかし野球ファンならだれもがその伝説を語れることは何と素晴らしいことか。沢村栄治さんと同じ背番号14を背負って、チームのエースとして活躍した選手として多くの人の...
|14年前 -
僕が生まれて初めてプロ野球を球場で観戦したのは・・・・ 1990年3月の近鉄−阪神、オープン戦、西京極球場でした。 その試合は、山崎慎太郎投手がピッチャーライナーを好捕したり、岡田彰布選手の打ったファールが僕の頭の上の看板を直撃したり、入団したばかりの野茂英雄選手が満員のお客さんに応えてブルペンで投げてくれたり、そして我が阪神が山脇光治選手のサヨナラヒットで勝つと言う生涯忘れられないものになりまし...
|14年前 -
1989年の夏の甲子園といえば、上宮高校の元木大介選手、仙台育英の大越基選手、そして優勝した帝京の吉岡雄二選手らがスターとして挙げられると思います。 しかし、僕にとってこの年最高の甲子園ヒーローは秋田経法大付属の1年生背番号10中川申也選手でした。 1年生(5ヶ月前まで僕と同じ中学生じゃないか!)で2完封含む甲子園3勝! もう、これだけで尊敬の眼差し。 しかも、この夏のフォームは足が高く上っていて...
|14年前 -
<写真> NPBのサイトで「史上最高の試合」が発表されていました。 12球団の監督、コーチ、選手による投票で選定されたそうです。 第1位は1994年10月8日の巨人ー中日戦でした。 僕は当時大学1回生でしたが、テレビに釘付けになって戦況を見守っていました。 勝負強い落合選手のホームランが心に残っています。 あれぞプロの鑑!と思いました。 しかし、僕にとっての最高の試合は1989年6月25日の巨人ー...
|14年前 -
いよいよ舞台は平成時代に移り第18話! 18と言えばプロ野球のエースナンバーなので、平成初期に輝いた18番桑田真澄さん、あるいは我が阪神の忘れられない18番野田浩司さん!・・・色々考えたのですが、背番号にまつわるシリーズはいつか書かせて頂くとして、「愛球史」の歩を進めたいと思います。 平成に入って最初のプロ野球シーズンが明けようとしていました。 阪神タイガースは、キャンプ地安芸で新生オリックス・ブ...
|14年前 -
あの選手にあの怪我さえなければ・・・。 このような惜しまれ方をする選手が毎年のように出てしまうのは残念なことです。 怪我をされた選手が一番悔しい思いをされるのでしょう。 しかし、応援する僕らも夢を断たれてしまったような残念さを抱き続けてしまいます。 僕は阪神ファンですので、三宅秀史選手が1962年9月6日の試合前の練習で眼を負傷しなければ882試合連続出場そして700試合連続全イニング出場記録はど...
|14年前 -
10.19・・・どの球団を応援しているにせよ、プロ野球ファンなら誰もがこの響きを聞くとき、胸の痛みと郷愁で心が一杯になるのではないでしょうか? 昭和最後のパリーグ優勝決定。 Wヘッダー。 稀に見る好ゲーム。 勝利への執念。 無情な引き分け。 今は無い球団、もう見ることのできないユニフォーム。 もうプロ野球の試合が行われることのない球場。 吹きぬける秋風。 永遠に消え去った日本一への夢・・・。 僕は...
|14年前